・ 霧の朝 ヴェネト、オリアーノ村 描き出しと、 ラッセル・クロウの         真実のルーツは!

新しく描き出している我が隣村、オリアーノ風景を見てやって下さい。

霧の朝 ヴェネト・オリアーノ村   5号P 35x25cm

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最初ペンでの下描きを終えた時は、ああ、これでやっと自分らしい
絵が描けるかもと、今迄の気持ちのモヤモヤがふっ切れたかの様に
嬉しかったのでしたが、はは、

いざ色を付け始めると、色の塗り重ねの問題で思う様な色がなかなかで、
消しては、試しては、の繰り返しで、
漸くに何とか行けそうかな、という所迄に。


向こうに見える丘の稜線が、我が隣のオリアーノ村で、
手前の高さのスコミーゴよりも、高さ100m近い差があったと。

で、スコミーゴ村からぐっと下がる谷の低い位置に湧き水が流れ、
そこからまたグンと上がった所がオリアーノ村なのですね。

こちらスコミーゴ村は、今この地はどんどん葡萄畑が広がっており、
そして民家も続きますが、

オリアーノ村への上り坂にも葡萄畑あり、雑木林あり、未開拓地ありで、

我が家からは、この手前の道をも少し東に行き、そこからこの谷を
下り上り、
そして東南にカーブを次々と下りながらコネリアーノの町に。


この一帯の葡萄畑の霧の風景は、ずっと以前から「絵になる」と
思ってはいたのですが、漸くに取りかかりで、

今漸くに絵の左から右への半分程、そして丘の上の様子は大体
見えるようになっていますが、まだまだで、

焦らずにじっくりと取り組んでいく心算で、頑張りま~す!


*****

今日の第2部   ラッセル・クロウの真実のルーツは・・!
  
先回1月20日の夜、本家ブログに
俳優ラッセル・クロウのルーツ、曽祖父はアスコリ・ピチェーノ生まれ!
という年明けから手元にあったサイト記事を載せたのでしたが、


1月24日のスマホに出たニュースは、

アスコリどころか、剣闘士はキウーザ・フェッランダ出身である。マッサーリが
発見した証明書で、ラッセル・クロウはパルマの出身である証拠と」

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で、キゥーザ・フェッランダ なるフィデンツァ市の位置は、

Screenshot 2024-01-26 160425_GF.jpg


マッサーリ、というのは、フィデンツァ市長アンドレア・マッサーリ・
sindaco di Fidenza, Andrea Massariの事で、

ラッセル・クロウが述べた、曽祖父ルイージ・ゲッツィは
マルケ州のアスコリ・ピチェーノ生まれというのは間違いであると、

フィデンツァ市長が「証拠」として持ち出したのは、
ルイージ・ゲッツィの出生証明書

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 1829年6月22日、キゥーザ・フェッランダに住む農民 
   ゲッツィ・アゴスティーノ31歳が 
   パルマ公国 ボルゴ・サン・ドニーノ市長である私の前に現れた。
  
 今日午前1時に妻のレッジェーリ・アナスターシャから息子が生まれ、
 ルイージという名前が与えられたと申告しました。



というもので、この証明書の発見は、系図研究や地元の伝統愛好家
音楽家でもある レノ・チッコーニ氏・Reno Cicconi の、

先日来熱中しているラッセル・クロウの先祖探しに因るもので、

これについては、こちらの記事をどうぞ。 コピー禁止になっており、
shinkaiめもグーグル・レンズのお世話で読みましたぁ。


つまりまずレノ氏はアスコリ・ピチェーノの国立公文書館から、
この地域でルイージ・ゲッツィの出生を証明する文書は存在しない、
という返事を貰い、

そこから研究を開始し、ルイージがニュージーランドで亡くなった後、
彼の息子が署名した文書もあり、

その中で彼は父親の出生地としてパルマ、に言及していたのを思い出し、
そしてパルマ市をクロウのルーツとしていた歴史家たちもあり、
パルマを調査。

が、パルマ市に調査を依頼しても、その周辺一帯には名前に
関連する文書は見つからず、とパルマ市立公文書館からの返事。

で、チッコーニ氏の直感は、パルマ地域のゲッツィと母親の
レッジェーリの姓が出現しているのを調べれば、となり、

1770年から1810年迄のデータを検索し、そしてまたフィデンツァ
19世紀にはボルゴ・サン・ドニーノと呼ばれ、
1927年迄その名で呼ばれていた事を知り、

中略、 

州の自治体の古文書が収められているパルマ国立公文書館に
行きついたのだそうで。

そして見つけたデータには、

  ゲッツィ・ルイージ
  アゴスティーノとレッジェリ・アナスタシア著
  1829年6月22日にボルゴ・サン・ドンニーノで生まれる

  心のこもった挨拶を
  キアラ・ペッテナティによる研究
  ロレンツァーナ・ブラチョッティ監督  署名入り

  系図調査、パルマ歴史アーカイブの文書、
  ルイジ・ゲッツィの生年月日と場所

という返事、そして後に、公式な書類も届いた、という事なのでした。

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はぁ、こういう追跡調査、遂に発見された事、読む方も熱中!


レノ氏は、現時点で我々はラッセル・クロウに会いたいと思っているし、
彼がサンレモ・フェスティバルに行くことは知っているし、
ここには移動する材料はたくさんあるし、おそらく彼は我々に
手を貸してくれるだろう、と。

そうでしたっけね、ラッセル・クロウはこの春のサン・レモ音楽祭に
招待されているんでしたっけ、

勿論、フェデンツァ市の、パルマ市の名誉市民証付き、でお招きにも
あずかる事でしょうね。


アスコリ・ピチェーノ市は、クロウの言った事が違っており、
がっかりした事でしょうが、
まぁね、その内に良い事もあるでしょう、という事で。


最後にご覧頂く写真は、実際にグーグル・マップで、
キューザ・フェッランダの道を辿ったshinkaiが切り取ったもので、

Screenshot 2024-01-26 162033_GF.jpg


細長い村の、のどかな畑、大きな家がぽつぽつと道脇に並び、
1軒のみのレストランが見つかった、平野の村で、

これを切り取ったのは、ここと、もう一枚、村の逆の方向の端に
あったのは字が汚れ、見え難かったからなのですが、

ははは、上のラッセル・クロウの横に見えるのと同じ場所だった
のを発見!!

という、shinkaiの大発見でしたぁ! 


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