ロンバルディーア州はベルガモにあるアッカデミア・カッラーラ・
Accademia Carraraで6月4日まで、現在開催中の
Accademia Carraraで6月4日まで、現在開催中の
「チェッコ・デル・カラヴァッジョ・Cecco del Caravaggio」展に
ついての様子を。

多分この画家の名前を始めて知られる方も多いと思いますが、
なにせ今回の展覧会が世界で初めて、彼の名を冠し、捧げられた
展覧会なのだそうで、
はい、私も初めて読み、知った画家でした。
カラヴァッジョの直弟子の中でも、最も神秘的で独創的な、
とありましたが、本名をフランチェスコ・ボネーリ・
Francesco Boneliといい、
生年、没年も、1585年頃-1620年以降とのみで、
これも1580-1630とか様々で、明らかでなく、
多分ベルガモ近辺出身であろうという・・。
これも1580-1630とか様々で、明らかでなく、
多分ベルガモ近辺出身であろうという・・。
ですが、ご覧頂くと良くお分かりの様に、腕は確かで、
師に劣らずの画家であった事はよく分かり、
師に劣らずの画家であった事はよく分かり、
その「チェッコ・デル・カラヴァッジョ」と名が今に残る画家に
捧げられた展覧会で、
捧げられた展覧会で、
始めて集められた約20点のサイン入り作品と、カラヴァッジョの
作品も重要な貸与作も含め、
作品も重要な貸与作も含め、
チェッコがインスピレーションを受けた作家、また彼の影響を
受けた画家の両方に焦点を当てているのだそうですが、
受けた画家の両方に焦点を当てているのだそうですが、
ここでは展示会案内のサイトからの作品をいくつかご案内を。
最初の上の展示会案内の、本人チェッコの作品「物売り」
ですが、全体はこんな様子。

で、今回の展覧会の写真を集めていて、この作品も見つけ、

始めは単純に色の明るさが違うけどな、と見ていて、
あれ、上のは口に何か含んでいるのに、こちらには無い、と見始め、
あれ、上のは口に何か含んでいるのに、こちらには無い、と見始め、
首の傾け方も、表情も、タンバリンらしきものの角度も、
手の動きも違い、
手の動きも違い、
これはこちらがカラヴァッジョの作品なのか、それとも同じテーマで
描き直したものか、などとも思ったものの、
描き直したものか、などとも思ったものの、
が、どうやら背後の壁が同じ色であろうと思うので、
今回の展示会に出品されているカラヴァッジョかな、と。
今回の展示会に出品されているカラヴァッジョかな、と。
カラヴァッジョの作品一覧も調べましたが、世界に有名な絵は
同一テーマの別作品も載ってましたが、この作品の掲載はなく、
・・まぁ、実展示を見ておりませんので、断定できず、とここに。
で、どの様にチェッコは、いつ、カラヴァッジョの弟子になったのか、
も正確には何も分からずのままで、
も正確には何も分からずのままで、
イタリア版ウィキによると、一番高い確率は、カラヴァッジョが
ローマのフランチェスコ・デル・モンテ枢機卿、この方は画家の
最初のパトロンとなった方だそうで、
の邸宅を去った後に、ローマで会った可能性が高く、
ローマのフランチェスコ・デル・モンテ枢機卿、この方は画家の
最初のパトロンとなった方だそうで、
の邸宅を去った後に、ローマで会った可能性が高く、
師と共に一緒に住んでいた、というのが事実関係であり、
弟子であり、モデルを少なくとも6点の作品で務め、愛人で
あった、という事実、とはいえ、何も証明するものはなく、
弟子であり、モデルを少なくとも6点の作品で務め、愛人で
あった、という事実、とはいえ、何も証明するものはなく、
それにカラヴァッジョとの年の差は10歳か、それ以上あり、
上記の枢機卿の援助を受けたのは1594-5年頃というと23,24歳。
上記の枢機卿の援助を受けたのは1594-5年頃というと23,24歳。
するとチェッコは未だ10歳以前だったかもしれず、
まさにモデルを務める顔は、その年頃の子供顔で!
まさにモデルを務める顔は、その年頃の子供顔で!
まぁ、愛人というのは、後の関係を指すのかもで、
案外、頭の働きが素早い浮浪の子供と知り合い、
自分の住まいに連れて行き、様々な仕事を覚えさせ、
使用人式に使ったのが始めかな、とも。
自分の住まいに連れて行き、様々な仕事を覚えさせ、
使用人式に使ったのが始めかな、とも。
チェッコという名も、そういう状態から来ている、というのですが、
多分フランチェスコと言う名前から、それを短く呼ぶ、
それに、ちょっと下に見ての馴れ馴れしさ、も含め、
「カラヴァッジョのチェッコ」という意味で呼んだのかも、と推察を。
それに、ちょっと下に見ての馴れ馴れしさ、も含め、
「カラヴァッジョのチェッコ」という意味で呼んだのかも、と推察を。
1605年「フランチェスコ、ガルゾーネ・Francesco garzone」
という記載があるそうで、ガルゾーネとは、単純な使用人、見習い、で、
通常15歳未満の子供を指すそうで、これにあたると。
という記載があるそうで、ガルゾーネとは、単純な使用人、見習い、で、
通常15歳未満の子供を指すそうで、これにあたると。
チェッコがモデルの作品で、一番有名なのは、
「愛の勝利・Amor Vincit Omnia」 1601-03年

「ゴリアテの首を持つダヴィデ」などの名が上がりますが、

カラヴァッジョのモデルに登場した彼はこれで置き、
チェッコは絵の技法のみでなく、武器(短剣)の使用法も
師から学び、とあり!
師から学び、とあり!
が、一番重要な事は、彼自身が良い画家に成長した、ですよね?!
はい、それを今回のベルガモの展覧会に出品の作品でご覧を。
シビッラ・エリトゥレア・Sibilla eritrea 1610-20年作

彼女は古代エリトリア・アフリカのエチオピアの南東、紅海を挟み
イエーメンと向かう位置、の預言者だったと。
イエーメンと向かう位置、の預言者だったと。
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂に描かれ、シエナの大聖堂の
床の大理石象嵌にも存在、という・・。
床の大理石象嵌にも存在、という・・。
貢の銭・Il Tributo della moneta 1615-1620年

キリストがマタイに、釣った魚の口の中にある銀貨1枚を、
神殿税の収税吏に払わせた場面
神殿税の収税吏に払わせた場面
神殿から商人を追放・Cacciata dei mercanti dal tempio
1613-1615 頃
1613-1615 頃

これは素晴らしく、迫力ある作品と! これが貸与出来たのは良かった、と評に。
こちらがチェッコの自画像

会場の写真にも。

正面の少年像は、カラヴァッジョがチェッコをモデルにした作品
「サン・ジョヴァンニ・バッティスタ」
「サン・ジョヴァンニ・バッティスタ」
こちらのサイトは最後に見つけ、読む間がありませんでしたが、
会場、作品写真が多いので、ご一見を。
チェッコ・デル・カラヴァッジョ 弟子、モデル
CECCO DEL CARAVAGGIO L'ALLIEVO MODELLO
キリスト昇天・Resurrezione

フルート吹き・Suonatore di flauto 1615-1620

最初の「物売り」のイメージに近く、色使いも明るめで。
そしてこれはウェヴで見つけ、なぜか惹かれたもので、

が、どうやらこの様にトリミングされた作品となっている様で、
泉のアモーレ・Amore al fonte 1616-18

泉の湧き出し口に近づくアモーレ神、ですか、となると、
こちらの方が主題強調かも、とも思ったのでした。
こちらの方が主題強調かも、とも思ったのでした。
展覧会を知るのが遅く、6月4日までとなると残念ながら・・、と
なりそうですが、
なりそうですが、
師のカラヴァッジョが亡くなった後の、カラヴァッジズモともいう、
バロック期の強烈印象の絵画のブームの中で大きな働きを
見せたという、
バロック期の強烈印象の絵画のブームの中で大きな働きを
見せたという、
チェッコ・デル・カラヴァッジョの、今となっては記録不足の
画家の、それでも大変見事な、
師の手法と密接に関連しながら、別の空気も見せている画家の、
イタリアでもヨーロッパでも初めての展覧会、のご案内でした。
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