暫く前に偶然出会った絵、クロード・モネの「ジヴェルニーの小舟」
という絵に、とりわけ色、グレーの色の美しさ、使い方に感嘆し、
という絵に、とりわけ色、グレーの色の美しさ、使い方に感嘆し、
モネの様な大巨匠の絵に感嘆、なんぞと当たり前やんか、と
言われるかもしれませんが、・・はぁ、ごもっともですが、
言われるかもしれませんが、・・はぁ、ごもっともですが、
絵を見ていて、全体を見て、凄いなぁ、美しいなぁ、と感嘆しても、
あっ、あそこが凄いなぁ、とか、あの色使いが良いなぁ、と思うのは、
あっ、あそこが凄いなぁ、とか、あの色使いが良いなぁ、と思うのは、
体験から言いまして、へへ、
自分は出来ない、到底及ばない部分に目が行ったからでありましてぇ、
今回その至らぬ部分の1つに気が付いた、という事とご了解願いますです。
で、こちらがその絵でして、
Barca a Giverny 1887頃 97,5x130,5cm オルセー美術館蔵

この絵については、こちらを参考に。
Barca a Giverny (In norvegese) di Claude Monet
岸に係留された小さな舟に、白い服を着た3人の少女が着席。
一番下の子は舳先に発ち、小さな竿で釣りをし、他の2人は座っている。
Barca a Giverny (In norvegese) di Claude Monet
岸に係留された小さな舟に、白い服を着た3人の少女が着席。
一番下の子は舳先に発ち、小さな竿で釣りをし、他の2人は座っている。
真ん中の娘は水面を観察し、3番目は船尾から釣りをし、
ボート横の水面には、娘たちと船体の外側が映っていて、
彼らの背後にある木々の緑が場面背景を作っている。
と、まぁ、見えるままの説明がありまして、はは。
ただモネ自身の絵のタイトルは、最後にEn norvégienne・
ノルウェー風、というのが付いており、
これは「四角い船尾を持つボート」を指すのだそうで。
ノルウェー風、というのが付いており、
これは「四角い船尾を持つボート」を指すのだそうで。
絵を確かめますが、今頃は皆こんな船尾ではないっけ、と、shinkaiには
違いが分かりませんが・・。
このモネの「ジヴェルニーの小舟」は、現在パリのオルセー美術館蔵
と上記しましたが、
と上記しましたが、
最初は、エドモンド・ド・ポリニャック王女・principessa Edmond
de Polignacのコレクションの1つで、
この王女なる方は、ミス・ウィンナレッタ・シンガー・
Winnaretta Singerとして生まれ、
後に、セイ・モンベリアール伯爵夫人・contessa de Scey-Montbéliard
となった、
となった、
というので、ウィンナレッタ・シンガーで検索しましたら、こんな写真が!

左は肖像画で、1885年20歳の時、(1865-1943)
右は後の写真で、最初の夫のセイ・モンベリアール伯夫人の時か、
2度目の結婚、エドモンド・ド・ポリニャック公夫人の時か、
分かりませんです。
で、ええと、この辺りから俄然面白くなったshinkaiの芋ずる式
探りが続きまして、ははは、
つまり彼女はシンガー・ミシンの創業者の2番目の妻の子として生まれ、
24人中の22番目!だったかな、で、
24人中の22番目!だったかな、で、
22歳の時、莫大な遺産、財産持ちの彼女は、最初の夫と結婚したものの、
5年ほど後に離婚となっており、
5年ほど後に離婚となっており、
次の夫エドモンド・ド・ポリニャック公の祖母である
ガブリエル・ド・ポリニャック、実の名はもっと長~く(1749-1793)なる方は、

フランス革命時のルイ16世王の、マリー・アントワネット妃(1755-1793)

の寵臣だった方で、最初伯爵夫人で、後に公爵夫人、となられた方で、
当時の上流社交界最高の美女と1人と言われたと。
暗めのブルネットの髪、目立って白い肌、そしておそらく非常に珍しい
薄紫色の大きな目を持っていた、といい、
薄紫色の大きな目を持っていた、といい、
余りの美しさに、彼女が25,6歳の時初めて出会った王妃は目がくらみ、
即のお気に入りとなり、家名は素晴らしいものの貧しかったポリニャック家の
借金を払い、ヴェルサイユに部屋を与え、夫の職も高く、・・、と
周囲から憎まれる程に取り立てたのだそうで!
即のお気に入りとなり、家名は素晴らしいものの貧しかったポリニャック家の
借金を払い、ヴェルサイユに部屋を与え、夫の職も高く、・・、と
周囲から憎まれる程に取り立てたのだそうで!
ウィキ日本版にもかなり詳しく書かれておりますので、どうぞ!
没年が同じなので、ひょっとして、と調べましたら、それ以前に女王に勧められ
スイスに逃亡したものの、女王処刑の50日後に、それ以前から健康を
害していたものか、酷い痛みが2日ほど続き、亡くなった、という事。
スイスに逃亡したものの、女王処刑の50日後に、それ以前から健康を
害していたものか、酷い痛みが2日ほど続き、亡くなった、という事。
女王の余りのご贔屓に、様々な中傷もあったものの、その辺りは・・?で。
で、この上のお2人の肖像画は、かの有名なエリザベート=ルイーズ・
ヴィジェ=ルブランの筆になります。

で、孫のエドモン・ド・ポリニャックは、30歳ほども年上のパリ社交界の
名士で株の取引で全財産を失った、公然たる同性愛者でしたが、
彼女もどうやらそうだったようで、ははは、音楽を通じて結ばれ、
夫が亡くなるまで、幸せに暮らしたそうで、はい。
で、あれこれ読んでいるうちにまたもう一つ見つけたのは、
モナコ王室、前のレーニエ3世大公・かのグレース・ケリーの夫君、の父君は、
ポリニャック公爵夫人の3男メルシオール(1781-1855)の孫、
つまりレーニエ3世大公は、ポリニャック公爵夫人のひ孫となり、
現在のアルベルト公は、やしゃご、という事に。
現在のアルベルト公は、やしゃご、という事に。
なんとまぁ、ヨーロッパ上流社会の繋がりの深さ、広さに、複雑さに、
今回もまた驚きあきれ、という事に!!
済みませんです、クロード・モネの1枚の絵のコレクション先から、
なんとまぁ、とんでもない周辺事情になってしまいましたが、
ですがぁ、こういうのが・・あるので止められませんので~す、へへ。
で、道草から戻りまして、
クロード・モネの1887頃の作品という事は、モネ(1840-1926)
の47歳頃。 こちらの自画像が45歳、というので。

モネは、ジヴェルニーに持った家の庭に、日本風庭園を造り、
水連を植え、それがまた晩年の大作シリーズとなったジヴェルニーの地ですが、
こちらに。

ジヴェルニーの小舟、に乗った女性2人の絵もあり、
同じ小舟の様ですが、こちらはずっと明るく。
同じ小舟の様ですが、こちらはずっと明るく。

モネの絵は、印象派の中でも好きな画家なので、あれこれ見ますが、
今回の様に「何年に?」と意識してみたり、読んだりは無かったので、
モネの、光とその反射、空気感を描いているのは、まさにこの年代から
だったんだ、という事も改めて知り、大変興味深かったです。
もう一度最後に「ジヴェルニーの小舟」をご覧下さいね。

どこに一番魅かれてしげしげと見たのかを考えましたら、
濃いめのブルーと緑の中に使われている、濃い、鈍いグレー色に
目が留まったのでした。
濃いめのブルーと緑の中に使われている、濃い、鈍いグレー色に
目が留まったのでした。
明るい色の中のグレーの見事さも勿論ですが、
こういう鈍いグレーの使い方もあるんだなぁ、と気が付き、
こういう鈍いグレーの使い方もあるんだなぁ、と気が付き、
それに気が付いた自分が、またちょっと嬉しかったのでした。
お付き合いいただき、有難うございましたぁ!
*****
日曜日9日は、復活祭で~す!
皆さま、ブオナ・パスクワ!!
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!

*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけさせて頂きます。
をアップしています。 ご訪問、よろしくどうぞ!
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけさせて頂きます。
をアップしています。 ご訪問、よろしくどうぞ!
この記事へのコメント