・ シエナの気球 途中経過と、  古代ローマ期の、お墓のラブレター

飛ぶ気球を描き込んでいますので、見てやって下さい。

シエナの空飛ぶ気球  26,5x37cm  5P 大

+DSC00684_01_GF.jpg 


先回描き出しを見て頂きましたが、全体の方向を探りつつ
色の方向を決めながら、描き込んでいます。

色でいうと難しいのは、一番手前になる草原とその向こうの木々の色で、
それ以上の奥の色はほぼ青色背景的となるので、
一番手前とをどう繋げるか、という事で、

あれこれ考えつつ、少しづつ奥と溶け込ませるべく、やって見ています。

自分の描き方、気性とは相容れないと思うので、所謂メルヘン調には
したくなく、へへ、まぁ、ならないとは思いますが、

丘の流れの青の中に少し入れた紫色など、も少し霧の中のぼんやりした
形と色を考えて描かないと、と思っています。


気球も少しはっきりと形を描いてみましたが、う~ん、奥の小さいのの
縞の幅が可笑しいですねぇ、へへへ。


少しずつ形が出来かかると、今度はそれらが勝手に喋り出すので、
統率を取りながら、進めて行けるよう、がんばりま~~す。


*****

今日の第2部   古代ローマ期の、お墓に彫られたラブレター

トルコのイスタンブルから200km程南東に位置するイズニック・Iznikの

2--02-26 163259_GF.jpg



考古学博物館に収められている石棺に彫られた文字が解読され、

3-sarcofago-Antigono-I-Monoftalmo-messaggio-damore-_GF.jpg


約2500年程前の、亡くなった人へのラブレターだったと分かったそうで!


2023年2月15日付
墓で解読された古代ローマのメッセージ:それは涙を流させます
DECIFRATO UN ANTICO MESSAGGIO ROMANO IN UNA TOMBA: FA VENIRE LE LACRIME AGLI OCCHI

他にも今年1月27日付 Ritrovata tomba di epoca romana


立派な大きな石棺ですよね? それもその筈、アレクサンダー大王に
仕えた将軍の1人であった、アンティゴノス1世のお墓なのだそうで。

こうして名前が残る事自体が、相応の人物だった事も分かりますが、
アレクサンダー大王の没後は、その後継者の1人となり、マケドニアに
アンティゴノス朝を開き初代の国王となった方なのですと。

紀元前382年から301年迄を生きられ、つまり亡くなったのが80歳、ですか、
それも戦闘中の、つまりイプソでのディアドキとの戦闘中に亡くなったと言い、

訳されたままをこうして書いておりますが、
80歳で未だ戦場に臨んでおられた?!

とも驚くのですが、国王自らの出陣で意気を上げる為であったのでしょう。

彼のニックネームがまたすごく、モノ二ルモス・片目、隻眼で、
かっての戦闘中に片目を失っていたのだそうで。


彼の肖像を刻んだメダルは右向きで、左目を失っていたのであろうと。

4-Antigone_le_Borgne_(pièce)_GF.jpg



そして、今回の解読された文字ですが、専門家によって翻訳され、
それに記された哀切な思いはとても深く、胸を打ちます。

イタリア語への翻訳をまず。

IO, LA TRISTE ARETE, PIANGO CON TUTTO IL MIO CORPO
E TUTTA LA MIA ANIMA DI FRONTE ALLA TOMBA DI ANTIGONO.

MI STRAPPO I CAPELLI DAL DOLORE E NON SO ESPRIMERMI
ORA SE NON IN LACRIME.

QUESTA TERRIBILE SFORTUNA, LA MORTE, MI HA INVASO
INVECE DI LIBERARE LUI CHE ERA UN UOMO PREZIOSO.

私、悲しいアリーテは、アンティゴノスの墓の前で全身全霊で泣く

私は痛みから髪を引き抜き、涙を流さずに自分を表現することはできない

このひどい不運、死は、貴重だった彼を開放する代わりに、私を侵略した


奥方は、夫が亡くなった同じ年に亡くなったそうで、
この墓の碑文を誰が書いたのか、彫らせたのか、不明だそうですが、

将軍、国王には、どうやら愛した女性がいたのかも、ですね。
この様に、強く哀しみをぶつけられる、まだかなり若い女性だったかも。



イズニックの考古学博物館には、他にもローマ期に遡る古い大理石の
テーブルもあるそうで、

5-Museo-archeologico-di-Iznik_GF.jpg

このお墓の碑文の様な、過去の証拠品が他にも見つかるかも、ですね。



そして、イズミックについて調べていて見つけたもう一つの記事を。

2015年4月23日付け
トルコのイズニック湖にある水没した大聖堂は、水中博物館に。
La basilica sommersa nel lago turco di k diventerà un museo subacqueo

トルコ北西部のイズニック湖の岸辺からわずか20mの所にある、
事故で発見されたビザンチン様式のバジリカは水中博物館になります、と。

これですが、素晴らしく美しい写真でしょう?!

6-La-basilica-sommersa-nel-lago-di-Iznik-in-Turchia_GF.jpg


このプロジェクトは、トルコ文化観光省によって承認され、この地域が
属するブルサ市により引き継がれる予定です。

建物の平面図は、3つの身廊と後陣がまだはっきりと認識できるもので、

はい、はっきりと見えますねぇ。

最初の調査の後、バジリカは紀元4世紀のものであることが判明し、

ディオクレティアヌスとガレリウスのキリスト教徒の迫害の間に
殉教者として亡くなったサン・ネオフィートに敬意を表し、
この土地、かってのコスタンティノープル、現イスタンブルから約200km
離れた場所に建てられたものと。

この地域では珍しい事ではないが、740年頃に発生した巨大地震が
その崩壊を引き起こしたようで、
大聖堂の遺跡は、湖の水にゆっくりと沈んでいったのでしょうと。

で、最後の文に笑ったのは、

現代美術の場合、トルコの財布は常に空の状態です。
美術館やイスタンブール・ビエンナーレ自体が私的な機関であるほど。

が、考古学的遺産の保存と強化が危機に瀕している場合、
国は費用を惜しみません

実際、この地域を水中博物館に変え、トルコの観光の新しい、
不可欠な目的地にするための準備作業がすでに始まっています。


だそうで、とんでもない所から、国の財政事情の暴露がありますねぇ!

まぁ、イタリアも常に財政不足が問題になりますが、それでも年月をかけ、
なんとかかんとかやり繰りしておられ、時にその粘り強さに感嘆しますから、

トルコもきっと大丈夫でしょう。
 
と、地震は古代からあの国の危機の源なのですね、やはり。
今回の大被災も、頑張って乗り越えて欲しいものです!


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