・ 水面 描き始めと、 モデナ県アペニン山中の4つの橋

トリエステの運河の水面の下描きが一応出来たので、見てやって下さい。

運河の水面 トリエステにて   41x27,5cm 6号P

+DSC03937_01_GF.jpg

モチーフはトリエステの街中、港から引きこまれた幅広の運河で、
午後の光が当たった壁の柄、確か煉瓦で模様が描かれた壁の柄が
余り波の経たない運河の水面に映えていた様子です。

ず~っと昔に撮った写真だったのですが、しっかり頭に残っており、
昨年の秋の広島の個展から戻って以来、何か雑念が常に頭にあり、
いまいち絵にじっくり取り組めないのが気になり、自分の性格も考え、
細かい仕事に追われるようなのに取り組めば、余計な事を考えずに済むかも、
と、このモチーフを思い出し、取り掛かったのでした。

柄は元々好きとはいえ、はぁ、波がないだけに本当に細かい水面で、
ほとんど全部写り込んでいる、というやつ、ははは、
6号どころかもっと大きな画面にすればよかった、とも思いましたが、

まぁ、やっとの思いで下描きを済ませ、一応の色も入れ、
この程度まで進まないと、見て頂いても仕方ないので頑張り、

この段階でも省略すべきは省略しつつ、さて、どのように描いていくか、
と考えています。

頑張りま~~す!


*****

今日の第2部  モデナ県アペニン山中の4つの橋

先々回の「イタリアの素晴らしいパブ」以来、エミーリア・ロマーニャ州はモデナ県の
パヴッロ・ネル・フリニャーノという町と、その周囲の様々な物、城、人物、橋などに
サイト記事の興味深いのが見つかったおかげもあり、惹かれ、
皆さんにも、とご紹介しておりますが、

今回はやはりパヴッロ・ネル・フリニャーノ・Pavullo nel Frignano近くの
山中にある4つの古くからの橋のご案内を。

サイトはこちら「Curiosità dell'Appennino modenese: 4 ponti strani
per 4 storie straordinarie」です。

では、先回もちょっと見て頂いた「ポンテ・オリーナ・Ponte Olina」から。

1-1-ponte-di-olina-pavullo-2 (1).jpg



地図をどうぞ。 パヴッロの町が右上に、そしてオリーナの村、住民44人、
パヴッロから南西に9km程にあり、橋は村の南に印をつけた位置に。

1-2-ponte2.jpg

この見える川がスコルテンナ・Scoltennaと言い、今日ご紹介の3つの橋が
この川に架かっているのですね。



写真でお分かりの様にかなり高いアーチですが、高さを書いたのが見つからず、

1-3-D-UUy1eXsAAYwsX.jpg

建設されたのは1522年で、このスコルテンナ川は南のトルカーナ州との
境に近い山中1964mに水源を持ち、北東に向かって流れ下り
パナーロ川・Panaroに合流する33kmの河ですが、

橋は地元民の要請というよりはフィレンツエとルッカのシニョーリ、この場合
大商人そして政治家たち、という意味合いと思いますが、
彼らはこの橋を越えた先のパヴッロの町を一つの逗留点として、
トスカーナとエミーリアを結びたかったのだと。

ちょっと見には16世紀というよりは、もっと古い時代の橋にも感じるのですが、
この曲線のアーチが建築上の技術的な荷重を捌き、伝統の古い橋では
耐えられなかった重さをさばいているのだそうで、と、単純に要約のご説明で。



興味深いのは、上の写真でも良く分かりますが、橋の袂近い位置の両側に、
ほらちょっと出っ張りが付いているのが分かりますね。
これは先行して来た荷車に道を譲るための物なのですって。

1-4-44c2-8472-69f9551c8a55.jpg

このアペニン山脈の山中にかかるたくさんの古い橋には、やはり土地それぞれの
伝承というか、怪談話めいたものが伝わるそうで、
嵐の夜、暗い橋を渡っていると、誰かが橋から投げ落とされたような様子の
援けを求める苦しげな声が聞こえる、とかね。



という所で、地図をもう1枚どうぞ。 やはり右上にパヴッロが見え、
ポンテ・オリーナの位置、そして一番真ん中上に見えるポリナーゴ・Polinago、
ここに今回4つめにご紹介の橋があり、

2-1-1-ponte1.jpg

同じスコルテンナ川を遡る先に見えるポンテ・デッラ・ルーナ・Ponte della Luna
と、その南ポンテ・デッラ・フォーラ・Ponte della Folaがあります。
他にもたくさん橋が見え調べましたが、やはり取り上げている4つの橋が興味深く。



で、2つ目のポンテ・デッラ・ルーナ。 ここも見事に高い位置にアーチがあり、
渡る時の見晴らしは素晴らしいものと。

3-1-luna.jpg



中世にはたくさんの道が橋がスコルテンナ川を渡り、谷の両側の村を結んでいて、
ですがこの橋は余り長くなく、そして19世紀にというのでそう古くもない橋ですが、
でもこういう石橋は趣がありますねぇ。

3-2-luna1.jpg



橋の袂の様子。

3-3-60702_ponte_della_luna_riolunato.jpg



そして、3つ目のポンテ・デッラ・フォーラ、2重のアーチですね。
この橋は中世後期に架けられた橋で、当時この形の石橋を架けるのは
本当に一大仕事だったことを考えさせられると。

2-1-fola_b.jpg

実際、安全性は低いものの安く済む筏式や、木の橋が架けられるのが
普通でしたからね。

が、ここにこの様な橋が架けられたのは、中世にここをエミーリアとトスカーナを
結ぶ重要な道が通り、モデナやピストイアを結んでいたからなんだそうで。
やはりかなり高いですから、水流もかなり高い時もあるのでしょうね。

2-2-ponte della fola_b.jpg



橋の上の眺め。 如何にも中世を感じさせる橋。

2-3-fola.jpg



見つけた1930年代の写真。 やはり修復されているのですね。

2-4-ponte-della-fola-anni-30-Costanitno-Boilini.jpg



フォーラの橋の写真を探していて見つけた、釣り人と釣果。 大きい!

2-5-fola maxresdefault.jpg



4つ目、最後の橋は地図の一番上に見えるポリナーゴの村のチェルヴァーロ橋・
Cervaro。

4-1-ponte cervaro.jpg

この一帯の大変に古くからの村だそうで、「オスピタレット・Ospitaletto」で
知られ、つまり徒歩力者、巡礼達、そして荷駄を引く馬たちの為の世話と手当が
受けられる村だったのだそう。

当時まだ古い時代の北イタリアから、北ヨーロッパからローマに向かう巡礼たちは、
モデナからのアペニン山脈越えをしていて、彼らを迎え入れていた村だったのですね。



今は渡る人もいないような風情に見えますが・・。

4-2-cervaro.jpg

という様な、モデナのアペニン山脈の中を越えて行く道にかかる橋4つでした。


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明日25日に白内障の手術を受け、その後1週間か10日は様子を見つつ
ブログをお休みさせて頂きますので、宜しくお願い致しま~す。


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