まだ絵を再開していないので、もう一度本家ブログ並みに、淡路島で食べた
美味しい物と、今ヴェネツィアで連日続いている高潮、についてをどうぞ。
美味しい物と、今ヴェネツィアで連日続いている高潮、についてをどうぞ。
今回は春に亡くなった姉の納骨や後始末があって出かけたのでしたが、
納骨が終わった後、姉が大変お世話になった成人後見人のFさんと、社会福祉の方と
一緒に晩御飯を食べ、1泊しました。
納骨が終わった後、姉が大変お世話になった成人後見人のFさんと、社会福祉の方と
一緒に晩御飯を食べ、1泊しました。
予約して下さっていたのは、「嘉楽」という港のすぐ傍の料理が売りの民宿で、

サイトはこちら http://www.awaji-karaku.com/
2階の窓からの眺めがこんな様子。 既に夕暮れが近く、

温泉が絶えず流れるお風呂にもとっぷりとつかり、ああ、極楽ぅ。
3人でテーブルを囲み、出てきたお刺身がマグロやイカ、ハマチに加え、
鯛、シマ鯵、アワビ、サザエ!!

鱧の揚げ物、骨煎餅、 そして確か、何かの貝の3種と。

鯛のお頭。 今回初めて目玉なるものを食べたshinkaiで~す。

日本酒も頂きましたが、何せ前夜「獺祭」を頂いているので、まろやかさがイマイチの感。
ちょこっと口だけ肥えまして、はは。
ちょこっと口だけ肥えまして、はは。

ハマチの焼き物。 大きかったですよぉ!!

淡路島の甘い玉ねぎの天婦羅も。

そして最後は栗ご飯と、お吸い物。 何のお魚だったっけ?

という様な口福な食事を頂いた、亡くなった姉を縁に、お世話頂いた方との
楽しい一夕でした。
楽しい一夕でした。
翌日銀行関係の片付けも無事に終わり、12時の船で明石に、広島に戻るべく
船を待っていると、目の前で釣りをしている若い女性がいて、すっと釣り上げ、
撒き餌みたいでしたが、何せポッと放り込み、1,2,3秒くらい竿をゆすると
もう食いついているのですね! 2匹掛かっている時もありで、
船を待っていると、目の前で釣りをしている若い女性がいて、すっと釣り上げ、
撒き餌みたいでしたが、何せポッと放り込み、1,2,3秒くらい竿をゆすると
もう食いついているのですね! 2匹掛かっている時もありで、
同じにちょっと離れて竿を出している小父さんは釣れていないのに、彼女は次々で、
一緒に船を待っていた男性と思わず顔を見合わせて、笑いました。
一緒に船を待っていた男性と思わず顔を見合わせて、笑いました。
偶々彼女が釣った魚を入れている容器をこちらの陰に置きに来た時、
「すごいですねぇ!」と声をかけると、開けて見せてくれましたが、小鯵、と言っても
14,5㎝位のがかなり入っていて、わぁ~お!
「すごいですねぇ!」と声をかけると、開けて見せてくれましたが、小鯵、と言っても
14,5㎝位のがかなり入っていて、わぁ~お!
ずっと釣れなくて、ついさっきから来たんですよ、と言いましたが、
同じ様に入れ食いの様子を見たイスタンブルのガラタ橋を思い出した事でした。
ガラタ橋は、釣り人天国 ・ イスタンブル
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461093420.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461093420.html
さて船が来て乗り込み港を出る時、こちら防波堤にも釣り人がいて、


対岸の須磨あたりになるのかしらん、

明石海峡大橋が近づき、


橋梁建築の一種独特の見事さ、優雅さにいつも心を惹かれます。




昔と違い、今はあっという間の13分程で、岩屋と明石を連絡していますが、
やはり島独特の感じが今もまだ残る淡路島の岩屋なのでした。
やはり島独特の感じが今もまだ残る淡路島の岩屋なのでした。
いつまで行けるか分かりませんが、姉のみならず、両親、もう1人の姉もいるお墓参りを、
広島の個展で戻った時には行ってこようと思い、納骨の時にお上人さんに
お願いし、了承いただきました。
広島の個展で戻った時には行ってこようと思い、納骨の時にお上人さんに
お願いし、了承いただきました。
余り家族とは縁のない生活で来た私ですが、今家族の最後の1人になり、
少しでも、という気になっているのも、やはり自分の年なのでしょうね。
遅くとも、無いよりは良い、というイタリアの諺がありますが、まさにそうかも。
*****
ヴェネツィアの高潮、について
勿論日本でも報道されていると思いますが、今ヴェネツィアが、とりわけ
サン・マルコ広場周辺の高潮の被害が酷く、大変な様子になっているようです。
12日の夜に187㎝という、1966年以来の最悪記録を作ったというのですが、
写真に見える様に、サン・マルコ広場一帯の浸水の高さがまさに
腿の上程迄来たことが良く分かります。
写真に見える様に、サン・マルコ広場一帯の浸水の高さがまさに
腿の上程迄来たことが良く分かります。


ヴァポレットがこんな風に強風と波に煽られて乗り上げている、衝撃の写真も。

で、以来ずっと毎日150㎝ほどの高潮に襲われていて、学校も事務所もお休みです。
というのも、電気系統がマヒしていて、ATMも使えず、携帯も機能しないのだとか。
それに店の中も勿論浸水していますし、水位が上がると橋の下を船が通れずで
街の機能は完全にマヒしますし、
それに店の中も勿論浸水していますし、水位が上がると橋の下を船が通れずで
街の機能は完全にマヒしますし、
サン・マルコ聖堂も浸水が酷く、モザイクや様々な被害が甚大になっている様子。

サン・マルコ聖堂の被害の位置の図も見つけました。

あれこれ写真を見ていると、どうもこの赤丸の被害の位置の下に、地下部分も
あるのではないかという気がしますが。
14日にコンテ首相が視察に来た時の、サン・マルコ聖堂内部の様子を。
https://www.ilmessaggero.it/video/cronaca/acqua_alta_venezia_giuseppe_conte_oggi_14_novembre_2019-4862314.html
https://www.ilmessaggero.it/video/cronaca/acqua_alta_venezia_giuseppe_conte_oggi_14_novembre_2019-4862314.html
サン・マルコ広場を囲むポルティチもドップリつかっていて、

これはカフェ・フロリアーンの前ですね。

高潮予想図では、17日迄続き、そして低くなりそうですが。

大金を使い造った「モゼ」、ヴェネツィアの高潮を防ぐ為に工事を始めた人工堤防の
モゼは、賄賂や何やらあれこれ問題になり、ほぼ出来上がったままで17年間ほったらかしで、
これも現在問題になっていて、どうやら最後の仕上げを、という方に傾いている様子。
モゼは、賄賂や何やらあれこれ問題になり、ほぼ出来上がったままで17年間ほったらかしで、
これも現在問題になっていて、どうやら最後の仕上げを、という方に傾いている様子。
サンタ・ルチーアの国鉄駅付近は比較的高く、長靴の半分くらいまでの高さが、
リアルト橋になると長靴では間に合わなくなり、サン・マルコでは腿の上、という図も
見ましたし、
世界一の特別な美しさ、歴史、背景を持った街も、高潮には勝てず、哀しいです。
すっかり浸かった小広場を見下ろす司教様の心の内はどんなでしょうね。

これは1966年の高潮、11月4日の写真です。

この1966年11月4日は、アルノ河がちょうどの満潮と重なり逆行し氾濫、
フィレンツェが大洪水に襲われた日なのですね。
フィレンツェが大洪水に襲われた日なのですね。



この時ヴェネツィアも大変な高潮に襲われたのでしたが、フィレンツェの被害が大きく、
またヴェネツィアの高潮はいつもの高潮だろう、位に考えられ、余り注意を引かなかった、
というのも読みました。
またヴェネツィアの高潮はいつもの高潮だろう、位に考えられ、余り注意を引かなかった、
というのも読みました。
そしてこのフィレンツェの大洪水の時、世界中から集まったボランティアが素晴らしい働きを
したのでしたが、今回のヴェネツィアの高潮の被害を少なくするために、既に
100人とか言ったかな、のボランティアが駆けつけて働いている様子です。 立派ですね。
ヴェネツィアもフィレンツェに劣らず世界一美しく、歴史と文化に溢れた街。
やはりもう一歩進んだ高潮対策を早く進めて欲しいもの、と切に考えます。
やはりもう一歩進んだ高潮対策を早く進めて欲しいもの、と切に考えます。


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