・ ヴェローナの、ジュリエッタの家について と、あれこれ周辺を

今回は描きかけの絵が見て頂ける程には進みませんでしたので、
第2部の話題のみで、
   
本家ブログの方で続けているヴェローナのご案内関係で、先日興味を持ったのが
シェークスピアの有名作品、ヴェローナを舞台とした「ロメオとジュリエッタ」に関連し、
現在「ジュリエッタの家」として大人気の家についての事。

1-casa-di-giulietta(1).jpg

勿論皆さんは、シェークスピアのこの戯作がヴェローナを舞台としてはいる物の、
実際にヴェローナで起こった事件ではなく、またこの家もジュリエッタの家ではなかった、
というのはご存知ですよね?

つまり「ロメオとジュリエッタ」のお話の人気に乗り、観光客用に上手く設定された家、
であるというのも、ご存知ですよね?

そうでないと、何かスリラー映画のネタバレをやらかすみたいになってしまうので、
もしご不審の方はどこか別のサイトで、お調べになり納得されてからご訪問を。

とお断りの上、はい、


shinkaiが興味を持ったのは、イタリア版ウィキに「ジュリエッタの家」の項目があり、
14世紀初めの建設とされるこの家の以前と現在の写真が載っていたからで、

こちらが19世紀末の姿で、

2-La_casa_di_Giulietta_come_appariva_alla_fine_dell'ottocento.jpg



これが現在の姿に近い1970年代の物。

3-La_casa_di_Giulietta_come_appariva_più_recentemente.jpg

ご覧の様に一番大きな違いは、無かったバルコニーがある事で、2階にあった長いテラスも
外され、他にも2階の窓が四角から上にアーチ型が付いたゴシック風の窓に代わり、
1階奥の扉前の石段がへずられ、逆に手前の扉の上に半円が付き、石段が少なくなり、
左の窓は潰され、上に楕円の窓にと変化し・・、とあれこれ変わっています。



shinkaiがこの家を映像の中で見たのは、1962年に大ヒットした映画「恋愛専科」で、
金髪碧眼のトロイ・ドナヒューとシュザンヌ・プレシェットが、ローマから北イタリアを
スクーター・ヴェスパで旅行する話に、ヴェローナのエルベ広場やジュリエッタの家が
登場したのですね。

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よく覚えているでしょう?! 当時まだ青春期のshinkaiにはその位イタリアの印象は
強烈でロマンチックで、ははは、

ジュリエッタの家のバルコニーに彼女が「私、ジュリエッタ」と現れ、下から彼が
戯作の台詞を言い、その場にいた他の観光客から喝さいを浴びる、というシーンがあり、

5-1200px-Romeo_and_Juliet_(1968_film).jpg

写真はF.ゼッフィレッリの映画「ロメオとジュリエッタ」から。

ええと言いたいのは、はは、1962年に既にバルコニーは設置されており、
ジュリエッタの家として観光の目玉になりつつあった、という事で、
が中庭のブロンズ像は無かったと記憶。

が、shinkaiが初めてヴェローナに行き、ジュリエッタの家を見た1990年代中頃には
まだ家の中の観光は出来なかったのですね、勿論バルコニーを中から見る事も。
という様な変化の過程があったの訳ですが、

ウィキで分かった事は、この家はかってカッペレッティ家・Cappellettiの物で、
「ロメオとジュリエッタ」の中の両家の名はモンテッキ・Montecchiと
カプレティ・Capletiですから、よく似ていますよね。

カッペレッティ家はダンテがヴェローナに滞在した頃まで、つまり1302年3月の
フィレンツェの追放後に所謂流浪生活が始まり、最初にヴェローナのスカリージェリ家に
1306年まで、後1313年頃再度ヴェローナのカングランデの許に。
 
この間あちこちと動き、友人達や様々なツテを求めてはフィレンツェに帰れる動きを
続けたものの遂に果たせず、1318年からはラヴェンナに行き、そこで3年後に死亡。

という事で、ラヴェンナにはかなりの期間滞在した様子で、その時代までは
カッペレッティ家がヴェローナに存在していた事は、ダンテの「神曲」の煉獄編に
両家の名が登場するのだそうで。

「ジュリエッタの家」は内庭に面した形であり、表通りからアーチをくぐり内庭に、
ですが、その入口のアーチの所に帽子の形のついた紋章があるのだそう。
カッペレッティは、帽子・カッペッロの小の意味でもあるのですね。

現在このアーチの壁面と内庭奥の扉辺りは凄まじい程の書き込みと、愛を誓う言葉で
溢れており、またジュリエッタに愛の相談の手紙を書くと、ジュリエッタから
代筆のお返事が届くそうで、
この辺りは映画「ジュリエットからの手紙」にありましたっけね。

いやぁ、まさに現実の出来事をしのぎ、シェークスピア作の「ロメオとジュリエッタ」
のお話が一人歩きをしているのが現実なのですね!

        
私邸となっている為内部見学は出来ずで、

6-casa romeo.jpg

7-322.jpg

表に作品からの言葉が観光客への言葉となっている事はこの通り。


いっぽう、ロメオ側のモンテッキ家・Montecchiは、ヴェローナでは著名な
ギベルティ派・皇帝派の商人で、実際に権力争闘からの流血騒ぎなどもあった家柄で、

ヴェローナの東25km程に位置するサン・ボニファーチョ・San Bonifcioに本家筋が
あった様子ですが、
現実にモンテッキ家とカップレッティ家との間に争闘があった、という話は無いとの事。

若い2人の恋人、それも敵対する家柄の2人についての逸話は、ヴィチェンツァ・Vicenza
の西にあるモンテッキオ・マッジョーレ・Montecchio Maggioreで、その様な話が
伝えられている、というのも聞いたりですが、すべて符合するわけではなく、

様々な事柄からインスピレーションを受けてシェークスピアの創作、戯作となった、
というのが真実の様ですね。



所で今回あれこれ読んでいて、またまた次のブログ・ネタになりそうな、はは、
話が見つかったのですが、

シェークスピアの戯作全37作の内なんと15作がイタリアを舞台にしている、
というのはご存知でした? 

この「ロメオとジュリエッタ」を始めとして、パドヴァを舞台の[じゃじゃ馬ならし」
「ヴェネツィアの商人」同じヴェネツィア舞台の「オセロ」、シチーリアのメッシーナを
舞台の「空騒ぎ」位しかshinkaiには出ませんが、

つまり一度も外国に旅行した事がないと言われるシャークスピアの
イタリアに対するその知識、その熱情には、昔から学者間で謎が続いているのだそうで、
本当はイタリア人、それもシチーリア出身の、というお話ですが、面白そうでしょ?!

実は暫く前にこの話をTV番組で取り上げていたのを見たのですが、まさかぁと思い
半ば忘れていたのを、今回しっかり思い出したという訳で、
次回にはこのお話を、お楽しみに!

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