・ ピエンツァ 途中経過と、 ポンペイ・ヴェスヴィオ山の噴火日が訂正

ピエンツァの壁の方は、何とか描き終えましたので、見てやって下さい。

自転車のある風景 ピエンツァ   35x26cm 5号

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ひと月程前に見て頂いた時は、まだ背後の壁が半分ほどしか描けておらずでしたから、
はい、何とか全体の壁をと、頑張りましたぁ。

自転車も車体を頑丈に、と座の下や、ハンドルから延びる軸棒、少し円を描く軸も、
とにかく曲がらない様に、重さを支えられるだけのしっかりさが欲しいと描き、

自転車メーカーのAtalaという書体も、これは見て知っていますから、
胡麻化すのは逆に悔しく、ははは、下地を消して描き直し、今は逆に見えすぎで、へへ、

ええと、まだ手を付けていないのはスポークで、これは見えすぎのままで、
と、写真を見て気が付いたのは、タイヤが少し円形には見えない事、特に前輪、
そして、どちらも空気が抜けたみたいに見えますね、これはイケン!

とまだ描いていないのが、壁の鉢植えの植物で、いつも苦手なので逃げていて、
でも何とか色合わせは出来たような気がしますので、描き込みます、はい。

石畳の手前側に、ぱらついた雨の名残があり、これを描き出している所で、
これがある事により、石畳が地に付き、壁との遠近感も出やすいので左側も描きます。

壁の石、崩れた所、上部の石の上から塗った壁が剥げ落ちている所など、
一応描いた所で、まだ全体に少し気になる所もありますので、

じっくりと見直して、詰めて行くつもりで~す。


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今日の第2部   ポンペイ、ヴェスヴィオ山の噴火日が訂正されました

ポンペイが、火山ヴェスヴィオ山の噴火により流れだした溶岩に埋められ埋没したのは、
歴史上の有名すぎる出来事ですが、そのヴェスヴィオ山の噴火日はいつか、
というと、shinkaiなど正確には到底覚えておりませんが、

紀元後79年8月24日である、とされていたのですね、今までは。
それが実は8月ではなく、10月24日の間違いであった事が分かった、というニュースです。

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これは昨年2018年10月16日付け、https://www.touringclub.it/ の記事にあった、
Pompei, un'iscrizione cambia la data dell'eruzione del Vesuvio
から、皆さんにお知らせです。


所で、8月24日に噴火があった、というのは、どこから来ていたか、ですが、

「プリーニオ・イル・ジョーヴァネ・Plinio il Giovaneが、タチート・Tacitoに
書いた手紙」の中で大災害について語っている事が元になっていて、

shinkaiは名前の2人などまるで知りませんが、ただプリーニオ・イル・ジョーヴァネ、
若いプリーニオ、と語られる場合、親がかなりの著名人である場合が多いので、
これもそうした例と思い、政治家か貴族の家柄であろうと想像。

ではプリーニオが日を間違えたのか?ですが、そうではなく、多分中世になって
書き写した筆記者が10月を8月と書き間違えたのであろうという推測なんだそう。


8月にヴェスヴィオが噴火した、というのは少しおかしいのではないか、というのは
既に以前からあり、というのも、19世紀に葡萄摘みの終わり、の跡が見つかっており、
葡萄が熟れるのは8月よりも秋に入ってですしね、

もう一つ、「ブレスレットの家」から見つかった硬貨には、ティート・Tito・皇帝
(ティトス)が15回目の喝采を受けた、というのが言及されており、
それが起こったのは79年の9月8日、というのが分かっているのだそう。


所で今回確定的な日付けが見つかったというのは、壁に残された木炭の落書きからで、
修復中の「庭のある家・Casa del giardino」に、多分楽天家の工夫が冗談で
書いた物らしく、手紙の前書きみたいなもの、なんだそう。

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多分修復中だったらしい壁に、仕事の合間に憂さ晴らしに書かれたものらしく、
家のロビーから入口の廊下にたくさん書かれているんだそうで、それらは修復後には
ニスを塗られ消える運命だったもので、定型化された文句から、卑猥なものまで!

で、この問題となったのには日付けがあり、というか、「日」に言及していて、
il sedicesimo giorno prima delle calende di novembre
11月1日に17日前、で、つまり10月17日となるのだそう。


そんなものは噴火の何年も前かもしれないではないか、という人がいるかもしれませんが、
それは不可能、というのも、木炭で書いた物は弱く、じきに薄れてしまうもので、
長年外気に当たって残るものはないから、と。
なので、大災害の起こった同年の物と考えられ、

ヴェスヴィオの噴火は、79年8月24日ではなく、10月24日。 

という結論になったという事なのでした。

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それにしても、学者というのは、いつも思うことながら、凄い人達ですねぇ!!

それに、ポンペイの発掘は今もずっと続いているので、常に新しい発掘、発見があるそうで、
お金のないイタリアで、怠け者のイタリア人で、という日頃の蔑視に耐えつつ、
しっかり頑張り発掘に携わっている方たち、偉いですよねぇ!

私もブログの引っ越し、ナポリ・ポンペイ辺りを頑張ろ!!


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