・ トスカーナの朝霧一応仕上げ と、モンテローニ・ダルヴィアの水車の要塞

朝霧の風景を一応仕上げとしましたので、見てやって下さい。

霧の朝 トスカーナ   24,5x15,5cm 

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今朝左横の窓からの朝日の強く射し込む場所で写真を撮ったので、
左と右の明度がかなり違って出ているのを、先にお断りして・・。

先回見て頂いた後、あちこち不足と思われる所を塗り込み、
とりわけ霧の風景なので、下地に色を入れ上から白で描きこんでいますが、

塗りが薄いと絵自体が浅くなるので、それに気を付け塗り込んでいて、
それも大体Okかと思い、写真も撮っていたのですが、

見ている内に、もう一段白い部分が、とりわけ左に欲しくなり、
グワッシュの白を重ね、他に霧の流れの部分も色鉛筆の白でも塗り込みを。

と、左から三角に出る一番手前の丘の麦畑、たくさんトラクターの跡が付いた
丘のうねりの色の濃い部分を少し濃くしたり、
中央の農家の壁の色をあれこれ工夫して見たり・・、

で、今こうして写真をアップして気が付いた細部の仕上げをもう一度、
という所で、お終いにしようと思います。

どんなでしょうか?


*****

今日の第2部   モンテローニ・ダルヴィアの水車の要塞

第2部を何にしようかと迷ったのでしたが、トスカーナついでに見て頂こうと、
シエナからの中世の巡礼道ヴィア・フランチージェナ、ヴィア・カッシアでも
あり、この道筋にあるモンテローニ・ダルヴィア・Monteroni d'Arbiaの町を。

地図をどうぞ。 シエナから南に下って来る位置にあり、周囲にも見える町村の
名前に付くダルビア・d'Arbiaのアルビアは川の名で、地図に細い流れが見え、
この一帯にたくさんダルビアと付く地名が見えますね。

2-smonteroni map.jpg

道は南に下ってブオンコンヴェント・Buonconventoを通り、
ここも中世の歴史ある小さな町で、城壁に取り囲まれ、秋口に行った時は
夕方近かったせいもあるのでしょうが、暑く、いっぱい蚊に刺されましたっけ!
という訳でもないのですが、ははは、この町のご案内はせずでして・・。

そして、オルチャの谷の街道要所である、サン・クイリコに至ります。

shinkaiは東に見えるアシャーノ・Ascianoから北、赤い印をつけた近くの
宿から斜めに地道を通ってモンテローニ・ダルビアに出て、町を見、
それから西のヴィッレディ・コルサーノ・Ville di Corsanoに行き、
探していた糸杉の道を見に行ったのでした。

このコルサーノの道については、こちらに。


モンテローニ・ダルビアの町に寄ってみる気になったのは、初日にシエナから
サン・クイリコに行く国道を通りながら、少し高めの位置から見た町筋の
古い家並、瓦の色がとても興味深く、町に行って見ようと思ったのでした。

町に着き、グーグルのストリート・ヴューから拝借の写真でご覧頂きますと、
こんな風に南北に通る道筋が突き当りに見え、この手前左に細長く駐車場があり、
ここに車を止め、中心に向かい歩きました。

3-s4 m.jpg



町中の通りはこんな感じで、道を挟んで家並が続き、寂れた町でもなく、
かと言って賑やかでもない、そっけない感じで、はは、失礼、
結局町中は一枚も撮っておらずで、グーグルのお世話になる次第です。

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で、かなり長い距離を歩き、出て来たのがここ。
左に古い大きな煉瓦作りの建物があり、右にベージュに改装されているのが、
現在のこの町の市役所です。

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建物の壁正面にあったこの紋章、撮った時は資料のつもりで撮っていたのですが、

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今回この建物について探すのに、この紋章、下に梯子・スカーラがあるのが
とても意味がありました。
つまり、ウィキペディアにも、町のサイトにも何も載っておらずで、
シエナのドゥオーモ前にある現博物館のサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ
の関係だと想像したのが、まさにそうだったのですね。



で、道を渡って覗き込むと、広場の横はこんな風に堀の様になっていて、
最初は要塞の堀かと考えたのでしたが、

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上の写真に見える左奥のアーチから覗くと、奥には行けませんでしたが、
こんな風に廃屋が見え、

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ではと市役所の横から奥に抜けると、上に見た廃屋はこんな様子で、
手前に見えた大きな煉瓦の建物には住んでいる人が居られる様子で、

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で、この奥はこんな風な池になっているのですね。

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堀にしては少し変だし、何だろう、あの建物も城館ではなさそうだし、
と考えていたのでしたが、
今回上手くサイトが見つかり、それで分かったのは、

この建物はやはりシエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラが
13世紀以前に要塞化して作った水車だったのですね。

既にこの当時デッラ・スカーラはこの一帯で活動していて、
元々は病院ですが、あちこちに広大な領土、荘園を持ち、また街道筋に
巡礼や徒歩旅行者の為の病院や、宿泊施設を提供していたのですね。

で、このヴィア・フランチージェナ、ヴィア・カッシアを通りローマに向かう
旅人は年間何千人にも及び、町はこの街道筋、水車を囲んで繁盛し、
宿や食事処がいっぱいあったと言います。

驚いた事にこの位置に初めて作ったのではなく、あれこれ推理されるのは
紀元前1世紀に既にこの地に水車があったのだそうで、
歴史に窺える一つの工業化の設置場所でもあったと考えられるのだそう!

で、デッラ・スカーラが施設を要塞化したのは1322~1324年で、
水利権確保の強化で、当然一帯は荘園だった訳でしょうね。

水車は今は無く、建物脇も見れなかったのでどこにあったのか確認できず、
が、左側から堀に流れ込む細い水路が見えましたから、
多分建物左側辺りにあったのでしょう。

町の現在の人口は周囲を含め9000人ほどで、農業、色々な種類の工業の
町になっているそうです。


という小さな町中でしたが、町周辺の素晴らしい春の景色をどうぞ。

少し離れた場所にある農家、現在は多分アグリトゥリズモに続く糸杉の並木。

13-C24_4000_GF.jpg



2人の高中年の男性、地図を広げ道を確かめ歩いて行きましたから、
これはヴィア・フランチージェナを辿る現代版巡礼さん。

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何とか撮れた泥棒カササギ。 名前に似合わず、白と黒の羽の柄が粋な鳥。

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なぜこんな名前かというと、彼は光るものが好きで、家の中からちょこっとかすめ、
巣の中にいっぱい収穫品が見つかるのですって!



波打つ台地が広がり、農家も点在し、

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こんな小さな池も見えました。

22-C24_4015_GF.jpg


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ただ今本家ブログには、
n.2 夏の夜祭り ・ 山村のかっての暮らし回顧の催し を  
アップしております。
  
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