カステルッチョの途中経過を見てやって下さい。
遙かなるカステルッチョ

カステルッチョの背後に大きくはだかる
ベットーレ山の山襞を描いている途中でして、
平野側の山裾から這い上がり、今中程まで、はぁはぁ、
山肌を流れ落ちる雨や雪の流れ道、白く筋の付いた道や、
大きな山の量感、塊を描こうとしていますがぁぁ・・、
相手はなにせ大物で、なかなか歯が立ちませんで、ははは、
じっくりと位置を決めつつ、描いています。
殆ど木のないガサガサした山肌なのですが、
それでも植物、草は生えているようで緑色も見え、
実際に羊飼いが移動している姿も見ています。
こういう山の姿を描くのは、考えてみれば初めての経験でして、
はぁ、初体験頑張りま~す!
*****
今日の第2部 ジュピター神殿 ・ テッラチーナ
本家ブログで、今回取り上げているテッラチーナに関連して、
町外れの山上にあるジュピター神殿のご案内をこちらで。
標高227mのサンタンジェロ山・Sant'Angeloの上から、
ここから見るテッラチーナの街の眺め。
夏の海水浴客用のホテルや長期滞在用の貸別荘、キャンプ場などが
浜辺沿いにズラッと並んでいて、
我らが4泊した浜辺のホテルは、ちょうど中程の浜がくびれて見える右、
白く細長く高く見える所。
街の旧市街、高台にあるかっての中心地は鐘楼と教会、そして塔が見える辺り、
ここの神殿跡見学の後、訪問したのでした。
右半分、中心地の奥に松並木が見えますね。
あれがローマとを結ぶアッピア街道ですが、16世紀以降旧アッピア街道に並行し
徐々に改修された新アッピア街道。
ジュピター神殿というのは、正式にはアンクスールのジュピター神殿・
Tempio di Giove Anxurと呼ばれ、
アンクスールというのは何かと調べましたら、
古代イタリア民族ウォルスキ族がテッラチーナを呼んだ名の様で、
この山上の地は既にローマ人が紀元前4世紀に、ウォルスキ族による
今日の第2部 ジュピター神殿 ・ テッラチーナ
本家ブログで、今回取り上げているテッラチーナに関連して、
町外れの山上にあるジュピター神殿のご案内をこちらで。
標高227mのサンタンジェロ山・Sant'Angeloの上から、
ここから見るテッラチーナの街の眺め。

夏の海水浴客用のホテルや長期滞在用の貸別荘、キャンプ場などが
浜辺沿いにズラッと並んでいて、
我らが4泊した浜辺のホテルは、ちょうど中程の浜がくびれて見える右、
白く細長く高く見える所。
街の旧市街、高台にあるかっての中心地は鐘楼と教会、そして塔が見える辺り、
ここの神殿跡見学の後、訪問したのでした。

右半分、中心地の奥に松並木が見えますね。
あれがローマとを結ぶアッピア街道ですが、16世紀以降旧アッピア街道に並行し
徐々に改修された新アッピア街道。
ジュピター神殿というのは、正式にはアンクスールのジュピター神殿・
Tempio di Giove Anxurと呼ばれ、
アンクスールというのは何かと調べましたら、
古代イタリア民族ウォルスキ族がテッラチーナを呼んだ名の様で、
この山上の地は既にローマ人が紀元前4世紀に、ウォルスキ族による
宗教的な地であるのを知っており、(ウォルスキ族がローマ人に滅ぼされた後の)
紀元前1世紀に軍事的、宗教的にも巨大なものとした様子。
5世紀になりローマ帝国の退廃が始まるとともに、この神殿も燃やされ、
その後ベネデット派の修道院となりますが、14世紀に町の繁栄が留まり
紀元前1世紀に軍事的、宗教的にも巨大なものとした様子。
5世紀になりローマ帝国の退廃が始まるとともに、この神殿も燃やされ、
その後ベネデット派の修道院となりますが、14世紀に町の繁栄が留まり
衰退が始まると、ここも放棄される事に。
そして19世紀末になり、考古学研究の発掘が始まり、
2千年にはこのアンクスールのジュピター神殿は、自然記念物として認められ、
2008年から県の自然公園の一部に含まれているのだそう。
と云うような簡単な説明をさせて頂きまして、これでオシマイ、ははは、
こんな砦みたいなのもある理由がわかり、
そして19世紀末になり、考古学研究の発掘が始まり、
2千年にはこのアンクスールのジュピター神殿は、自然記念物として認められ、
2008年から県の自然公園の一部に含まれているのだそう。
と云うような簡単な説明をさせて頂きまして、これでオシマイ、ははは、
こんな砦みたいなのもある理由がわかり、

ここがいわば考古学公園の入り口で、

広いのです! 赤丸が入り口で、青線にそって見学コースなのですが、
番号6,7が現在街の下から、港からも見える大基礎構造のテラス部分で、
10が修道院跡、 8が小神殿跡、 5が大神殿跡 という様子。

我らは案内コースとは逆に回りまして、
格子状の石組みの壁を見たりしつつ歩き、

野草の花があちこちに咲き誇り、



ここは小神殿の脇辺。

小神殿の前側。



上から見る大神殿の横と、遥か下に港。

こんな階段を降り、大神殿の脇に。

大神殿の基礎のアーチ部分。

ずっと続く少アーチの基礎と、


大アーチの長~いトンネル。

前から見る基礎構造部分。 紀元前にこんな凄いものを山上にね!!

奥の小部屋にあったプラスティック模型。
一番下に見える基礎構造のアーチ部分が現在残っている部分で、

上の大神殿や、奥の建物類は崩壊した石のみ。
裏庭にいた猫ちゃん。

こうして我らは、下の旧市街に戻ったのでした。

*****
ただ今本家ブログには、
ご訪問、よろしくどうぞ!
この記事へのコメント
小父さん
こんばんは
えっ「遙かなるカステルッチョ」はまだ途中経過ですか?
山裾の田畑がなんだか日本の畑に似ている気がします。
カステルッチョへ上がる道も細かな作業をしてありますね。
よく見ると山肌に縦についている襞の精緻な描き込まれ方もすごいです。
山肌のグラデーションが鮮やかですね。
こんなにたくさんの顔を持っているんでしょうか?
はぁはぁいいながら、今中程とは山登りと全くいっしょですね!(笑)
【第2部】
街の眺めの風光明媚なこと、ここに立たれたら気持ちよかったでしょうね。
へーっ、4泊とは贅沢ですね。
身も心も洗われそう!
うわっ、歴史上のアッピア街道が街中に残っているわけですか!
これはすばらしい。
私の近くにも西国街道なる名がありますが、ほんの小路です。
>こんな砦みたいなのもある理由がわかり、
紀元前4世紀のウォルスキ族、紀元前1世紀の滅亡、5世紀のローマの退廃、ベネデット派の修道院、14世紀町の衰退の歴史をこの砦がずっと見てきたのかと思うと感慨深いものがあります。
>格子状の石組みの壁を見たりしつつ
この石組みは見事ですね!
野草の花にこころが和みます。
ポンツァ島方面の青い海は綺麗ですね。
>ずっと続く少アーチの基礎と、
これは凄い!
素敵な写真です。
>大アーチの長~いトンネル。
うわぁ~~~!ですね(笑)
紀元前の構造物なんですか!
どうやって作ったんだろう?
日本だと弥生時代ですね。
>スペルロンガ、ガエータに続く陸と、広い海。
こちらは家も何もない、素晴らしいです。
>一番下に見える基礎構造のアーチ部分が現在残っている部分で
いやいや、オリンピックの主会場かピラミッドにも匹敵しそう。
昔の人の方が建設の力がありそうです。
猫ちゃんの表情をうまく撮られますね。
有難うございました。
shinkai
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。
はい、まだ山襞を描きかけの所ですし、村の建物の様子、平野の畑も未だほとんど描き込んでいませんので、まだまだこれから描くべき所がたくさんです。
遠景の山は勿論描いているのですが、こんな風に半ば主役の山を描くというのが本当に初めてで、
それに美しいと思っている山なので、しっかり描きませんと・・。
本当に、山登りのしんどさと一緒かもしれません。
はい、南ラツィオの旅は4泊5日だったのですが、毎日しっかり終日見学で、最後は少々お疲れでしたね、楽しかったですが・・。
なにせ2000年以上の歴史がしっかり形で残っているので、圧倒されますね。
そうなんですね、ローマとか、それ以前のエトルスクの残っている石造建築の石組みは凄いのですよね。
壁の格子柄なども見事なのですが、石が小さいですよね。
でも城壁とか大きな建物の建設には大きな石を使っていて、後の中世のほうが大きな石を組む技術が後退しているのですね。こう云うのがとても不思議というか・・!
こちらこそ、いつも有難うございます。