・ 年明けの空 描き始め と、 中世女性の生きた強さ

漸くに、描き始めを見てやって下さい、と言える下描きを、
10月の広島での個展を済ませ戻って来ての、
初めてのブログアップを見てやって下さい。

年明けの丘 コッレ・ウンベルト  41x29cm 6p大

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なぜか何枚も描き出してはそのまま続けられず、の、
日本出発前の、シエナの小さな祠の聖母子像も、
二月堂の裏参道も、他の小さな作品の冒険実験も、
なんとなしに自分の今の意識としっかり合致せずでしたが、

漸くにいつも見ている風景と、その色合いに気持ちが落ち着き、
なんとか描き始めました。

タイトルの、年明けの丘、というのは、2022年の1月1日、
朝焼けが始まりそうな空を見て、隣村オリアーノに出かけ、
そこから眺めた東にある丘、コッレ・ウンベルトの村なのです。

一番奥の左端に見える城館と塔は、かってのヴェネデット派修道院の
建物からの派生で、あれこれルチェスキ家・Luceschiのもの、とかで、
未だにご子孫が住んでおられるとか・・。

丘の上の形は、本当はもっと平たく広がっているのですが、
少し丸く盛り上げています。

たくさん点在する農家や、林の固まりなど、霧に隠れ見えるような
見えない様で、もう一度形を撮りに行って来よう、と思っています。

とりあえず、自分の気持ちを描きつつ固めて、という出発点で~す。


*****

今日の第2部   中世女性の生きた強さ

今回の本家の方では、中世における寝室の在り方、を載せていますが、

それにつれてあれこれ調べて知ったのが、中世プラートの大商人
フランチェスコ・ダティーニ(1335-1410)と、その妻マルゲリータ

フランチェスコとマルゲリータの様子。 奉納した絵の左右に描かれた姿。

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フランチェスコは両親と2人の兄弟を1348年に失くし、生き残った弟と
育ての女性の下で育てられ、フィレンツェで商人の見習いとして働き、

当時教皇庁所在地のアヴィニョンが、野心あるビジネスに精通した
人々にとっての可能性を理解し、

15歳で、父親から受け継いだ農場を売って得た150フローリンを持ち、
プロヴァンスの地方都市に移住したのですね。

彼が記録に出るのは1373年、38歳ですか、個人会社を設立し、
富を築き始めます。

彼がフィレンツェ人であったマルゲリータ・Margherita(1360-1423)
と結婚したのは1376年、彼が41歳、彼女が16歳の時。


マルゲリータが生まれた時、彼女の父ドメニコはフィレンツェ共和政府に
対する陰謀に参加したとして処刑、財産も没収されますが、

1370年代初めに、マルゲリータは家族と共にアヴィニョンに移住し、
そして2人は知り合った様子ですね。

フランチェスコとの結婚後、地中海のあちこちの都市に支店を持ち、
離れている事の多い夫との間に交わされた手紙は、150通発見
されており、

それにより、彼女が経済的な理由で妻に選ばれたのではない事が
分かるそう。

実際、彼女は家族の経済的制約の為、持参金を持ってこずでしたが、
彼女の魂の素質、若さ、そして彼女の家族をよく知る事が出来、
結婚最初の数年間は、彼女が下水道の仕事をして稼ぎ、自分で
管理していた事、彼が家計管理を妻に任せるのを躊躇しなかったそうで。


あれこれ読んだ中で私が感嘆したのは、

彼女は当時の写本に使われたゴシック体の読み方を母親から習っており、
従って完全に読み書きができなかった訳ではないものの、夫の手紙の
商人文字には馴染みがなかったのですね。

こちらが夫フランチェスコからの手紙

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ために、祈祷書などを読む事は出来たものの、夫との手紙のやり取りを
始めた最初の数年間は口述筆記をしてくれる筆記者に頼らなければ
ならなかったと。

で彼女は読み書きを習い始め、最初の自筆手紙は1388年2月20日、

こちらが彼女の手紙ですが、最初のものかどうかは分かりません。

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手紙の筆跡は悪く、線は不規則、いくつかのインクの汚れもあり、
如何に彼女にとって書くのが困難だったか分かります。

が1396年、36歳頃には、彼女は商人の文章の読み書きを学び、
書記に頼る必要が無くなり、夫に自分の技術を披露する事も出来る程に。

通常の手書きで読みやすいメッセージを作成する程の熟練を達成し、
段落への分割、日付の正確な報告、他の書簡への参照など、
商人の習慣の一部も取り入れる様に。

ですが、彼女は筆記者の使用をやめず、実際の自筆手紙で
残っているのは、22通のみなのだそうで。

1384年から1410年に掛けて、彼女が夫に251通の手紙を書いており、
最初の手紙から、メッセージには彼女の強い個性が出ており、
夫の驚きを招く程だったといい、

殆どは日常生活に関連した問題、プラートの家の管理、家事などで、
が、個人的な感情や配偶者に対するアドヴァイスや非難などもあり、
夫との関係のよりプライヴェートな側面もあるそうで。

14世紀末のトスカーナの裕福な商人の家族のライフ・スタイルの
情報源でもありますが、

歴史家は、彼女の事例を、14世紀から15世紀にかけて生きた女性の、
半文盲から、完全な読み書きの道へのモデルとして取り上げれると。


1382年、ダティーニ夫婦はアヴィニョンを離れ、プラートに戻り、
仕事の拡張の為、夫は主としてフィレンツェに住み、妻はプラートに。

2人には子供が生まれず、夫に何人かいた私生児の1人、ジネーブラを
養子とし、マルゲリータは家に娘として迎え育てたそうで。

プラートに建設した家は、現在素晴らしい博物館として残り、
チャンスがあったら一見の価値がありそうです!

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フランチェスコ・ダディーニの偉大な生涯は、ウィキペディアでも
お知りになれます。
フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ・ウィキペディア


若い時のお互いの不幸な生い立ちを経た後に、自立した精神性、
また困難さに取り組み、自分のものとする努力の姿勢。
そんな夫婦がお互いを信頼して生きたのでしょうね。

5世紀前に生きた一女性が示した姿を知ることが出来、
読んでとても感嘆し、感激もしたのでした。


ブログを続けていて、時にネタに苦しむ事もありますが、へへ、
でも逆に、思いもかけない掘り出し物的に、発見する物事、
人々がおり、それがとても興味深く、有り難く、
それに釣られ、楽しみつつ、続けております。

そんな楽しみも、皆さんに伝わります様に!!


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