最近サイト記事で見かける「フィレンツェの大聖堂、生誕600年」の文字。

そしてそれに伴うあれこれの逸話に惹かれ、
ブログのネタになるかと、ははは、読むにはこちらの知識試し、
それにいつもながらのイタリア語の学力試しみたいな感じで、へへ、
痛めつけられるのですがぁ、はぁ、
それでもやはり、何が書いてあるか知りたく、コピーし記事を貯めています。
「フィレンツェのドゥオーモ生誕600年」は、確かに1418年には身廊が完成、
クーポラを残すのみとなり、
クーポラを残すのみとなり、
ええと、何となく現在の大聖堂の姿を思い浮かべた方、ご注意を!
「クーポラを残すのみ」というのは、現在のあのブルネレスキの赤く尖がった
8角形の屋根が無く、ズドンと抜けた8角形がそのままの姿であるのを
思い浮かべて頂きませんとね、はい。
「クーポラを残すのみ」というのは、現在のあのブルネレスキの赤く尖がった
8角形の屋根が無く、ズドンと抜けた8角形がそのままの姿であるのを
思い浮かべて頂きませんとね、はい。
そして屋根をかけるのにコンクールの布告が行われ、ブルネレスキの案が
採用され、工事責任者に任命されたのが1420年4月。
8月に建設が開始され、クーポラの頭頂部が閉じられ一応の完成となったのが
1434年8月30日。
採用され、工事責任者に任命されたのが1420年4月。
8月に建設が開始され、クーポラの頭頂部が閉じられ一応の完成となったのが
1434年8月30日。
その後頭頂部の明り取り部分が建設され、またその上にある青銅製の球、
その上の十字架がすべて完成したのは1461年。
その上の十字架がすべて完成したのは1461年。
というので、「フィレンツェの大聖堂生誕600年」は確かに600年なのですけど、
その時はまだズドンで、現在の美しい姿で無かった事もちらっとご記憶にね。
あと40年後には、真の生誕600年祭がある筈ですから!!
その時はまだズドンで、現在の美しい姿で無かった事もちらっとご記憶にね。
あと40年後には、真の生誕600年祭がある筈ですから!!
クーポラ登頂と、建設のあれこれ ・ フィレンツェのドゥオーモ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466188299.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466188299.html
という様な文句たれはさておき、今日はあのドゥオーモのクーポラのそのまた上の、
ヴェロッキオ作の金色の球(青銅製)の中に入る、管理責任者のヴィデオを
見つけましたので、美しいフィレンツェの大聖堂、街の様子をご覧下さいね。
サイトは
フィレンツェ 朝6時

まだ暗いうち、観光客がいないうちに清掃が行われ、

朝の光が空に点し始める時刻の、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂正面。

「花のサンタ・マリーア聖堂」の名を口にする時、書く時、本当にフィレンツェ人は、
なんと凄い素晴らしい名を捧げたもの! といつも感嘆するshinkai.
なんと凄い素晴らしい名を捧げたもの! といつも感嘆するshinkai.
こちらが管理保守係のチームで、今回一番上の球の中にまで上るカルロ・タッコーニ・
Carlo Tacconi氏 51歳。
Carlo Tacconi氏 51歳。

年に3回保守管理のために球の中に上るそうで、チームは20人、建設関係と
石工、こちらは大理石像の修復、正面壁のコントロールなども手掛けるそうで、
彼らが365日、聖堂全体の管理をしているそう。
説明している声が聞こえますが、どうやら生粋のフィレンツェ人の様で、
は、ひ、へ、ほ、 の発音がフィレンツェ訛りで可愛い。
は、ひ、へ、ほ、 の発音がフィレンツェ訛りで可愛い。
聖堂に当たる朝陽。

徐々に狭く、傾斜がきつくなる石段を上ります。


7時。 ブルネレスキのクーポラ内に。 116mの高さ、463段の石段。

クーポラの頂上に至り、蓋を上げ。 すり減った階段にご注目!

ランテルナ・明り取りの外側のテラスに出ます。
毎日2600人の観光客がここ迄上るそうで! はぁ、shinkaiも1度。
毎日2600人の観光客がここ迄上るそうで! はぁ、shinkaiも1度。

ランテルナ部の外に張り出したテラス、迄は観光客が上れますが、
その上は管理の人のみ!
その上は管理の人のみ!

でもあの球の中まで上れる、というのは、やはり凄い!
安全の為、回転するモスケットを腰に付け、釣り綱を通し、

鍵で、ランテルナの中心の場所の扉を開け、入り込みます。

細い真っ直ぐ上に連絡する抜け道、高さ11mの中に渡された鉄の横棒を上り、
最後の2段は木の階段を上り、球の中に。
最後の2段は木の階段を上り、球の中に。
そして窓を開け、フィレンツェの天辺に。


球の大きさは、直径2,3mで、重さ1800kg!
1461年に取り付けられた球に、1492年4月5日に稲妻にやられたものの
大丈夫、ただフィレンツェ人はロレンツォ・イル・マニーフィコの死の予兆では、
と恐れますが、3日後にロレンツォは亡くなります。
1601年1月27日、再度稲妻にやられ、この度はドゥオーモ広場の東側に
球が落下、大理石の記念碑が広場に埋められているそう。 次回見に!
球が落下、大理石の記念碑が広場に埋められているそう。 次回見に!
その後、球は修復され、1602年10月21日に、再度上に据えられたそう。


朝8時半、1296年に建設基礎が置かれたドゥオーモの扉が開き、
訪問者の数は毎年1,400,000人。
訪問者の数は毎年1,400,000人。




という、フィレンツェのドゥオーモの最上階、球の中に上る様子でした。

そう、こうして見ると、現在は避雷針が付けられていますね、良かった!
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