世界カトリック教会の頂点にあるヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂。
その大聖堂の中でも一番有名なのは、やはり
システィーナ礼拝堂・Cappella Sistinaですよね?!
その大聖堂の中でも一番有名なのは、やはり
システィーナ礼拝堂・Cappella Sistinaですよね?!

今日はそのシスティーナ礼拝堂の中の、とりわけ有名な
ミケランジェロの正面と天井の壁画が無かった時はどんな様子だったか、
という話題を。
ミケランジェロの正面と天井の壁画が無かった時はどんな様子だったか、
という話題を。
参考にしたサイトは、
COM’ERA LA CAPPELLA SISTINA PRIMA DI MICHELANGELO? と、
COM’ERA LA CAPPELLA SISTINA PRIMA DI MICHELANGELO? と、
の2つです。
システィーナ礼拝堂は、以前からあった「大礼拝堂・Cappella Magna」に
シスト4世教皇・Sisto IV(1471年から1484年迄、212代教皇)が
ペルジーノ・Peruginoを主として、ボッティチェッリ、ギルランダイオ、
シスト4世教皇・Sisto IV(1471年から1484年迄、212代教皇)が
ペルジーノ・Peruginoを主として、ボッティチェッリ、ギルランダイオ、
ピントゥリッキオと言った当時の著名画家に依頼し、壁画を描かせ、
1483年8月15日に落成の聖別式を行ったもので、そこから教皇の名を冠し、
システィーナ礼拝堂と呼ばれている物ですね。
システィーナ礼拝堂と呼ばれている物ですね。
所で正面の祭壇の後ろの「最後の審判」図と、

天井の「旧約聖書」のお話を描いた場面や、間の予言者などの壁画は、
ミケランジェロが描いたのであるのは、皆さんもよくご存じと思いますが、


つまり現在我々が見ているシスティーナ礼拝堂は、天井が1508-1512年、
「最後の審判」は1536-1541年の作、つまりミケランジェロ(1475-1564)は、
天井画を描き始めたのが33歳の時で、「最後の審判」を描き終えたのが、
なんと66歳の時という事で!
「最後の審判」は1536-1541年の作、つまりミケランジェロ(1475-1564)は、
天井画を描き始めたのが33歳の時で、「最後の審判」を描き終えたのが、
なんと66歳の時という事で!
天井画を描かせたのは、216代教皇、任期1503年から1513年のジュリオ2世・
Giulio IIで、
Giulio IIで、
「最後の審判」はパオロ3世(220代教皇 1534年から1549年が任期)の、
これはどちらも性格の強い教皇様で、
とりわけ「自分は絵描きではなく、彫刻家である」と壁画を描くのを嫌がる彼に、
いつ出来上がるのか! 出来る時に出来る!と、喧嘩をしながらも
描かせたジュリオ2世の逸話がよく知られていますが、
それもあって2人はお互いに強い友情で結ばれていた様子。
いつ出来上がるのか! 出来る時に出来る!と、喧嘩をしながらも
描かせたジュリオ2世の逸話がよく知られていますが、
それもあって2人はお互いに強い友情で結ばれていた様子。
実際今のシスティーナ礼拝堂を知っている身には、あの強いインパクトの
あるミケランジェロの絵がない事など想像も出来ない程ですが、
あるミケランジェロの絵がない事など想像も出来ない程ですが、
では、元のシスト4世時代から、ミケランジェロの壁画が描かれるまでの
システィーナ礼拝堂はどんな様子だったか、というと、
システィーナ礼拝堂はどんな様子だったか、というと、
これは19世紀に描かれた版画で、「元はこんな様子だったろう」という物。

つまりこれは今も変わりませんが、両面の壁が3層に分かれていて、
一番下には、織物が架けられている様子の壁画で、
一番下には、織物が架けられている様子の壁画で、
その上の層にペルジーノ(1448-1523)の描いた壁画がぐるっと一周し、
これは2つのテーマを持ち、右に「キリストの生涯」、左に「モゼの生涯」
が描かれており、一番上には歴代の教皇の姿が。
が描かれており、一番上には歴代の教皇の姿が。
そして今と大きく違うのが、天井と正面の壁で、天井には星空が、
そして正面にも両脇の壁に繋がる2つの窓と、間に教皇の姿、だったろうと。
そして正面にも両脇の壁に繋がる2つの窓と、間に教皇の姿、だったろうと。
こちらは、ピサ大学の教授陣が研究しての3Dの当時の想像図で、

左の水色の囲いの中に書かれているのは、

上から順にミケランジェロの半円図、その下に周囲と同じに窓を挟んで4教皇、
その下にはペルジーノの、左に「モゼ」、右に「キリスト生誕」の一場面、
その下にはペルジーノの、左に「モゼ」、右に「キリスト生誕」の一場面、
一番下の層には、ラファエッロが下図を描いた17の綴れ織りが掛かっていて、
これは現在ヴァティカン絵画館に保存されているそうで、
真ん中の祭壇の背後には、ペルジーノの「聖母被昇天」があったろうと。
これは現在ヴァティカン絵画館に保存されているそうで、
真ん中の祭壇の背後には、ペルジーノの「聖母被昇天」があったろうと。
で、こちらが無名作家の手により模写されたらしい「聖母被昇天」図で、

こちらは同じペルジーノの手になる「キリスト生誕図」、後年他の教会の祭壇画
として描いたもので、こういう感じであったろうと。

つまりかっての礼拝堂の壁画は、きちんと図式化された、というか組織的に
配置された壁画のある礼拝堂であったろう、という様子のご案内でした。
が今を知る我々には、
やはり「ミケランジェロあってのシスティーナ礼拝堂」ですよね?!

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