・ 人物 ・ Ritratto

◆ 村で会った女の子   25x19cm  2号大


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村で会った女の子_01_GF.jpg

彼女に出会ったのは、地図に載せたタルツォから西のガイ・Gaiという村で、もう何十年も

前の事ですから、彼女の子供さん自身がこの女の子位に育っているかもしれませんね。


山桜の咲き始めた長閑な春の空気に誘われ、街道筋から村の道を辿り入り込んだ村で、

最初からまるで子犬みたいになついて一緒に村の中を歩き、蟻塚のあり場所も教えて貰い、

彼女のお父さんは近くのアグリトゥリズモのコックさんで、彼女の犬はピッポという名、

まで、今も記憶に鮮明ですが、彼女自身の名は聞いていないのです!


ちょっとはにかんで目を細めモデルに収まってくれた姿が気に入っていて、描きだしたものの、

背景に物凄く手こずり、何度も何度も洗い落としては描き直しで、最後は紙が虐められて

ケバだつほどで、紙に申し訳ない程の気持ちになりましたが、

漸くに今の姿に収まり、やれやれでした。



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・ マルケ州 ・ Marche

◆ ウルビーノの朝  ドゥカーレ宮   Urbino  37,5x26,5cm  5号大


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ウルビーノの朝 ドゥカーレ宮_01_GF.jpg

ウルビーノのシンボルの一つでもあるドゥカーレ宮。 現在は博物館になっていて、

収集された絵画や、有名なモンテフェルトゥレ公の書斎も見れますが、

これは町の大駐車場からの眺めで、朝陽がドゥカーレ宮に当たり、手前の要塞はまだ暗い中。


2本の塔が並ぶ美しい一廓で、間に見える白いバルコニー部分は、有名な傭兵隊長であり、

ウルビーノの町にルネッサンス文化を持ち込んだフェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの

居室部分があった場所で、書斎や祈りの部屋、また私的な浴室、温められお風呂とサウナで、

高さ60mというこの小塔内の通路から城内のどこにも行ける様に、また秘密の通路もあり、

公爵と親密な関係者のみが使っていたとか。


既に33年前かになる最初のウルビーノ訪問の時は、現在のこの駐車場は広い土の広場で、

アレッツォからバスではるばる来た我らは寂れた広場のバールで、ウルビーノに来た!と

感激したものでしたが、現在の広場駐車場は車で満杯、うっかり歩けないほどの、はは、

賑やかな町になっておりましたぁ。




◆ ラファエッロの生家にて  ウルビーノ  Urbino 27,5x19cm  3P

    

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ラファエッロの生家にて ウルビーノ_01_GF.jpg

マルケ州の山の中に位置するウルビーノ・Urbinoは、現在は大学町で若者がいっぱいの

町であり、ルネッサンス文化を取り入れた宮廷を、また町作りをした有名な傭兵隊長、

フェデリコ・ダ・モンテフルトゥロの町であり、ルネッサンスの画家ラファエッロの生地

であり、そして町中の道はどれもこれもみな物凄い急坂が続く町!


ラファエッロの生家は博物館になっていて、これまた急坂の道を上って行った所にあり、

まだ若い頃に描いたフレスコ画の「聖母子像」が残る程ですが、当時の家の中の生活が

想像できるようになっていて、炉の前に肉をまんべんなくグリルする為に回す仕掛けが

あったり、また今回のモチーフにした、一見した時すぐに、このまま描けるなぁ!と

思った、ほり抜きの小さな棚に陶器壺や銅器の収まった箇所がありました。


そしてその横には小さな内庭に向かっての窓が開き、その手前に段が2段ほど。 

まだまだ小さなラファエッロがよじ上ったりしたのだろうな、と思わせる

家博物館の様子でした。



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・ 猫ちゃん ワン君 ・ Gatti e Cani

◆ アンギアーリの猫  a Anghiari 22x16,5cm  1号

  

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アンギアーリの猫_01_GF.jpg

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」の舞台となった町で、

最初に訪問した1991年にはまだまだ鄙びたのんびりの町も、20年後にはすっかり

観光化され、レオナルドの人生をイタリア国営放送RAITV映画で撮った、

かって日本のNHKでも放送された映画の一部が見れたりする、

アンギアーリの戦いの博物館も出来ておりました。


博物館が2つあるこの通りは石段が続くいわば中央通りで、その半ば左に様々な花鉢で

彩られた素晴らしいお庭があり、どうやらこの猫ちゃんはそのお家の子の様ですが、

人懐こく、近所の奥さん方にも挨拶をしに行ったりで、サイトを見ると何枚も

この子の写真が見つかるという、いわば町の顔! ははは。


で、私めも石段での座り姿、その横顔と写させて貰い、こうして良いモチーフに。


アンギアーリの古い中世の宝石箱の様な町では、他にも頂いた素敵なモチーフがあり、

また出かけたいものと!




◆ 我が家のデブちゃん  フィニ   19x15cm  0号大

      

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我が家のデブちゃん  フィニ_01_GF.jpg

古い写真を探していて見つけた、我が家のフィニ君。 背景に写っていた赤い座布団の

色も懐かしく、早速に描きだしましたが本当に楽しく、彼ら我が家の猫たちの想い出も

次々に蘇り、せっせと描きました。


で、本当の写真は彼の晩年の姿、顔だったのですけど、ハンサムなアビシニアンだったのも

思い出し、最盛期には確か16kg程のデブちゃんでもありましたが、絵の中では少し減量、

顔の頬のたるみなども、はは、少し減らし、思い出の中の可愛いハンサムなフィニ君に。


旅で出会った猫ちゃんを今迄描いて来ましたが、自分の猫ちゃんを書くのがこんなに楽しく、

そして想い出に助けられ筆が進むのも発見し、後の3人も描きたいな、と!



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・ 花 ・ 植物   fiori e pianta

◆ 晩秋の朝  なごりの紫陽花   26,5x19,5cm 3P

      

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晩秋の朝 なごりの紫陽花_01_GF.jpg

この紫陽花のモチーフは、我が村スコミーゴの西隣のオリアーノ村で得たもので、

確かもう11月に入ってだったと記憶します。


イタリアの花々は、日本の様に季節に従い順に咲くのではなく、春先から土地、日当たりの

様子により、日本の様に梅が咲き、そして桜、次に藤という様な順序が余りなく、一斉に

咲き始め、咲き始めると紫陽花も薔薇も1年中次々に、という様子に

最初は驚いたものでした。 日本人の季節感が少し狂いますものね。


が、今晩秋ともなり、右に枯れかけた大きな赤い、元はピンクの花が見えますが、

新しく咲いているのは白い小さな花で、緑濃かった結構ゴツイ葉も紅葉しかけの良い色で、

元々の紫陽花とは別の美しさで、それに朝陽が射しこんで煌く様子に魅せられたのでした。

紫陽花のドライ・フラワーも美しいですものね。


住んでいる田舎の、自然あふれる土地の良さ、美しさに、とても感謝なのです。




◆ たんぽぽ   18x13cm  0号


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たんぽぽ_01_GF.jpg

「たんぽぽ」の花の黄色は春を運んでくる色で好きですが、咲き終わり落下傘部隊になった

白い丸い姿にはいつも抗しきれず、見かけると写真を撮らずにはおれません。


でも、なかなか描きたいと思っても、実際に描こう、と決める姿に出会うのは難しく、

今回も本当のタンポポではないかもしれない、少し落下傘少なめのモデルで決めたのですが、

絵の中で丸く感じて貰える様に描くのが難しいと分かり、少し苦労しました。

でもこうやって少しづつ描く事も学んでいくのでしょうね。


右下に少し外れた落下傘は実際にあった姿ですが、右上に飛んでいるのは、

飛びたいshinkaiの気持ちで~す!



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・ 模写作品 ・ Copia

ベリー公のいとも豪華なる時祷書 カレンダー 4月 模写 48,5x30,5cm 8P相当


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ベリー公のいとも豪華なる時祷書  4月  模写_01_GF.jpg

14~15世紀にかけてのフランス王家の生まれ、シャルル5世を兄にもつベリー公ジャン一世

が、ランブール兄弟に命じ作らせた時祷書の中のカレンダーの4月。

1月は宮廷の大宴会、2月は冬の雪景色の中の農家、暖炉に暖まる一家の姿で、

3月はさておき、4月はこの貴族の婚約式、元の時祷書の大きさは29x21cmで、実物よりも

大きく模写しているのですが、それでも何とも難しく、必死に描き。


若い婚約者2人共が王家に繋がる出身と分かる衣装で、右の若い姫は差し出した

右手の親指と人差し指で婚約指輪をつまんでいる姿で、中に挟まれた年配の男女は

彼女の両親とすぐ分かる優しい眼ざしで彼女を、相手の許婚者を見守ります。


傍らの野で手を差し伸べる侍女2人は、姫の衣装と同じ紫のスミレを摘んでいるので

あろうと解説にあり、頂いた豪華本で細部が分かるので、ここはどうなっている、

という時には開き確かめつつ描きますが、眺めていて、姫は白い革手袋をはめている事、

母親の目はちょっとグレイの入った青い目と分かりました。 


麗しの春4月ですねぇ。


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・ ラツィオ ・ カンパーニア ・ Lazio  e  Campania

◆ アマルフィ  夕暮れの色  Amalfi 31x21,5cm  4号小


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アマルフィ 夕暮れ色_01_GF.jpg

ナポリ湾を囲む南のサレント半島の南側に位置するアマルフィ・Amalfiの町。

かってはイタリアの4大海洋都市のひとつで、9世紀から12世紀にかけ隆盛を誇り、

今も町の十字の紋章がイタリア海軍旗に、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサと共に

並び、残ります。 と、手漉きの紙製造でも有名な所。


町は小さくとも、レモン栽培で有名なサレルノ半島の美しさからも観光の名所で、

ノルマン、アラブの影響の残る古くからの見事な聖堂が残り、昔からの観光も盛んで、

作曲家のワーグナーや作家のイプセンの滞在でも知られます。


これは砂浜に降り東を眺めた所で、町の中心は少し西にあり、海岸沿いを走る狭く、

ひっきりなしにカーヴの続く道が湾の先から曲がり、隣のアトラーニの町に至り、

そしてサレント半島の付け根サレルノに連絡します。


今夕暮れが迫り、海岸沿いに層をなす家並のあちこちに火が灯り、

海岸沿いはライトをつけた車の往来で輝きます。



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・ ウンブリア ・ Umbria

◆ 農民の古い靴  ウンブリアの博物館にて  a Città di Castello  34x25cm  4号


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古い農民の靴  ウンブリアの博物館にて_01_GF.jpg

車の免許を取り、その3か月後に運転して出かけたウンブリア旅行で、最初の訪問地が

チッタ・ディ・カステッロの郊外にある「農民伝統博物館」。

元々はお隣にある侯爵家の代々のお百姓さんの家を博物館としている物で、様々な農機具や

生活用品の展示があり、葡萄の圧縮機も始めて見、オリーヴの圧縮機との違いも知ったり、

学芸員さんも興味を持ったか、あれこれ教えてくれたのを楽しく思い出します。


古い靴が手作りの粗末なテーブルに積み上げられたこのモチーフもこの博物館で見たもので、

様々な色と形、最後まで履く尽くされたその草臥れ具合に、これはこのまま描ける!と。


折半農業とはいうものの、70~80%くらいまで持ち主の公爵家に取り上げられたそうで、

底が木製なのは軽いし暖かいからと聞きましたが、多分履きつくし、再度木の底を打ち付けた

のではないかと思われる様子に、当時の農民の苦しさも思い重ね、描きたいと思ったのでした。


中に爪先が破れた靴が2足あり、いずれもブルーと空色の染め色が薄く残っており、これらは

多分侯爵家からお下がりの、元は上等な、革も薄い靴だったのだろうと想像しました。




◆ 薔薇窓  アッシジ  Assisi 33,5x24,5cm  4F

  

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薔薇窓 アッシジ_01_GF.jpg

中世がそのまま残るアッシジの町。 イタリア守護聖人でもあるサン・フランチェスコの

生地で、聖人の没後すぐの12世紀に建設された素晴らしい聖堂があり、

これはその上の院の薔薇窓です。


典雅なこの薔薇窓が大好きで、描くのは既に3度めですが、その都度の難しさに悩む

モチーフでもあります。 

また今回は4年前に出かけて新しく発見した、薔薇窓に残るモザイクや、扉上の横線の下に

たくさん隠れている中世風動物のモチーフの影響もあり、自分が描きたいもの、描けるもの、

とのギャップの問題もありました。


そして描きながら浮かんだ素朴な疑問、一体、薔薇窓を造るにはどの様に?!と。

描きながら見る、元の写真で分かるたくさんの大理石のパーツの繋ぎ目から、

この大きくて重いパーツをどの様に、どの位置から始めて、どのように組んだんだろう、と

いう素朴な質問で、いつか専門家にお会い出来るチャンスがあったらお尋ねしよう、と。

はい、子供の知恵熱の遅い発生なんです、ははは。




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・ トスカーナ ・ Toscana

◆ コルサーノの道  トスカーナは春  a Ville di Corsano 36,5x25cm  5P大


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コルサーノの道  トスカーナは春_01_GF.jpg

何年か前にサイトで見かけ、この道は一体どこにあるのだろう、と気になり探していた道。

トスカーナのオルチャの谷周辺と思っていましたが、少し離れた谷の村、上の地図に載せた

ヴィッレ・ディ・コルサーノから少し北の、東に向かう行き止まりの白い道、そうです、

トスカーナの有名な地道、車で走るともうもうと白い土煙のあがる白い道、がそれでした。


見つけた時はもうすっかり陽が高くなり、暑い程のお天気の日で、

遥かに見渡せるなだらかにうねる丘を巡る白い道と、高い1本の糸杉、そして奥に見える農家・

アグリトゥリズモに続く糸杉の並木道、遥か先には青空に浮かぶ小さな白い雲。


見つけ、写真を撮った時には、やっと見つけた!という感慨のみでしたが、家に戻って後

何度か眺めるうちに、なんとも素晴らしい風景、どっしりと落ち着きの良い風景と

感じ始め、渇仰し探していたもう一本の道よりも先に描いたのがこのモチーフでした。


トスカーナの春、を感じて頂けます様に!





◆ 古い小さな村の小さな店 モンティッキエッロ Monticchiello 27,5x21cm 3号

  

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古い小さな村の小さな店 モンティッキエッロ_01_GF.jpg

オルチャの谷の中心的存在のピエンツァの町の東、谷の向かい側に見える小さな村

モンティキエッロ。 何年か前にオルチャの谷探訪の時はこの村のアグリトゥリズモの宿を

基地としてあちこち巡った居心地の良い村で、美味しいレストランもあり、

村をぐるっと囲む城壁の外に出て張り出した展望テラスから、ピエンツァの町の向こうに

沈む太陽の夕暮れを粘って撮ったりも。


この小さな手芸用品店は入った事はありませんが、小さな緑の庭に面した村独特の厚い壁の

古い建物で、ガラス戸から見える小さな手作りの人形や動物の姿が見えますが、

ちょうどお昼時か祭日で中の明かりが消えておりました。


村の中のあちこちに猫ちゃん達が寝そべったり集まったり、城壁正面にある門が

村の唯一の出入り口で、車も住民の車のみのという、のんびりさが良く分かるのでした。





◆ 丘の上の農家  トスカーナ  a Crete senesi  33x21,5cm 4P


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丘の上の農家  トスカーナ_01_GF.jpg

昨年春トスカーナに出かけた時にシエナのクレーター風景を少し徹底的にと、宿を2か所に

分け2泊ずつ、地図に見えるヴェスコーナの南東の宿と、逆に北にほんの少しに。


これは南東の宿、ヴェスコーナから南に下ったフォンタネッレ・Fontanelleという場所の

細い道をずっと東に入って行った所にあり、この道は宿の所で行き止まりの道で、

地道をガタゴトと入って行った所にこの農家があり、そこからが物凄い下り道で、

最初見た時は、嘘じゃろう!と思い、ははは、車の中から写真を撮ったほど!


モチーフにしたこの農家は、宿から歩いて上って来た場所からの眺めで、上まで上り

農家の横でカーヴし前を通り過ぎ、またまた凄い傾斜の坂道を下り、深く落ち込んだ

クレーターの周囲をぐるっと雨上がりに2時間ほど歩いた時のものです。


農家は手前に見える大きな建物の1階部は多分中世からと思われる、基礎部が

外に張り出し壁の線が傾斜しており、2階と奥の平屋は後の建て増しで、


この場所に住み着いた農民と、彼らを護って来た古い農家の歴史を感じたものでした。




◆ アンギアーリの古い壁  Anghiari 33x22cm  4P


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アンギアーリの古い壁_01_GF.jpg

フィレンツェから電車で1時間ほどの南のアレッツォ迄、そして車で東に30k程の

位置にあるアンギアーリ・Anghiariは、まさに中世の面影を残す宝石箱の様な町。


歴史に町の名が残る一番大きな事件は、レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェの

ヴェッキオ宮の壁に残したという、幻の「アンギアーリの戦い」図で、500人広間の

ヴァザーリの現在残る絵の下に隠されているかもというので、数年前にヴァザーリの絵に

小穴をあけて調べるという騒ぎまでありました。


町は東のサン・セポルクロ、かのピエロ・デッラ・フランチェスカの生地、を望む高台に

あり、町から真っ直ぐ東に下る急傾斜の長~い坂道があり、この坂道の坂下あたりで

1440629日に起こった戦闘で、フィレンツエ共和国+ヴェネツィア共和国+教皇軍と、

ミラノ公国との戦いで、連合軍が勝利したという物。


描いた階段脇の道は、壁にたくさんの碑が残る旧政庁もある中心広場に続く道で、

射しこむ午後の光に古い古い石組の壁が浮き出したもので、2012年イタリアでの最初の

個展の際に水彩で描いたものにもう一度挑戦した、気に入りのモチーフです。




◆ 自転車のある風景  ピエンツァ  Pienza  35x26cm  5号


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自転車のある風景 ピエンツァ_01_GF.jpg

オルチャの谷は東端にあるピエンツァから西に、中程に南に延びる中世以来の街道主要点

であるサン・クイリコ・ドルチャ、南ヘはローマへの巡礼道であるヴィア・フランチージェナが

のび、ラディコーファニにも、で北東に上るとワインで有名なモンタルチーノ、という

珠玉の町が続きます。

が、まぁまぁ平坦な道はピエンツァ~サン・クイリコ間のみで、道を何度も往復し

脇道にも入り込み、良く知っている私めは到底自転車であの辺りを走破しようなんぞとは

ゆめゆめ思いもしませんが、

ピエンツァの町中の道脇には良く自転車・ビチが止められていて、道を走っていても

マウンテン・バイクでトスカーナ走破の強者どもの多いのを知るのであります、はい。


この日は曇り日、時に雨がぱらつく中心通りで4台ものビチの姿を撮りました。

モチーフにしたこれは、古いピエンツァ独特の茶色の如何にも脆そうな凝灰石の前に

寄せかけられたビチで、

描きながら車体の奥に見える壁の大きな穴、多分壁の石が剥がれ落ちた穴が幾つもあるのに

気が付いたり、改めてビチの軽やかな車体に秘められたたくさんのメカニズムの美しさに

魅せられたり、が逆に描くのは難しく、はは、楽しみながらも苦しみましたぁ!




◆ 霧の朝  トスカーナ  a Crete senesi  24,5x15,5cm  2P

   

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霧の朝 トスカーナ_01_GF.jpg

トスカーナのシエナから南東に下る道脇に広がるのが、シエナのクレーターと呼ばれる

かっての荒野、月の表面を思わせるという意味でのクレーターとも呼ばれますが、

現在はかなりの部分が耕され、ポコッと陥没地や、ごつごつの岩山があったりですが、

大きく小さくうねる大地の面白さに惹かれ、モチーフを探して回ります。


このモチーフは、地図を載せたヴェスコーナ・Vesconaから少し下り、南西に入る畑の中の

道を朝早くに進み得たもので、左の深い谷から上る白い霧が、大地の畝の間を流れ、

奥の大きなピンク色の農家がちょうど朝日を受けて輝き、素晴らしく美しかったのです。


霧の風景も止まった霧、流れる霧とあり、どちらも大好きですが、描くのは難しいっす!





◆ 糸杉のあるヴィッラ  ピエンツァ  Pienza  26x19,5cm  3P

    

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糸杉のあるヴィッラ ピエンツァ_01_GF.jpg

世界遺産にも指定されているオルチャの谷のピエンツァの町ので外れにあるこのヴィッラ、

糸杉が前面一列に植えられた独特の眺めですが、蛇行する道の入り口脇に

「ICipressini・イ・チプレッシーニ・小さな糸杉(荘)」という表示があり、調べましたら、

アグリトゥリズモ・宿、となっている事を知りました。


サイトで見る写真には、道の両側の畑が麦畑のもありますが、私がモチーフにした

この時の様子は右が麦畑、左が何か別の植物で、色も多少違い、育ち様も違いました。


糸杉も風の影響か皆少し左に傾いており、絵の中で見た方が変に思われるかもと、

一旦の下描きを一応真っ直ぐの糸杉に、はは、変えました。


素晴らしいオルチャの谷風景も、ピエンツァの町も、この頃はとても観光客が多くなり、

とはいえ、やはり独特の雄大な風景、古い小さな町の姿は大変に魅力あるもの!

チャンスを見つけてお出かけ下さいね!




◆ トスカーナの緑  ピエンツァ  Pienza  27,5x19cm  3P


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トスカーナの緑 ピエンツァ_01_GF.jpg

オルチャの谷のピエンツァの町の西下外れにある古いロマネスク教会・ピエーヴェ・ディ・

コルシニャーノ、ここはコルシニャーノと言った自分の生地である古い村をルネッサンスの

町に造り替えようと奮闘したピオ2世教皇が洗礼を受けたというのでも有名ですが、

その脇から急な傾斜の地道が下り、下りきった道は緩やかな上り下がりをしながら

テッラピッレ・Terrapilleというアグリトゥリズモに行きます。


この道が映画「グラディアトーレ」の撮影に使われたと有名で、サイトで見つけた写真の

糸杉が何本か立ち並び、周囲に麦畑が広がるその風景に憧れ、頑張って急坂の上り下りをし

2度通った時に得た、畑の中の糸杉2本がこのモチーフ。


一見平凡な風景ですが、緑の違いと、如何にも平面的な分割が興味深く、

描いてみたかったモチーフです。


「グラディアトーレ」の道もいつか、ね!



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・ ヴェネト ・ Veneto

◆ 朝焼け  スコミーゴ村  Scomigo  37x25cm  5P大


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朝焼け スコミーゴ村_01_GF.jpg

夜は9時頃に寝て、朝は5時起きの良い子の生活をしていて、はは、夏の間は5時半頃から

歩きに出かけます。 葡萄畑を脇に見ながら、家並が途切れ途切れに続く道を隣村

カルページカの教会まで歩き、その近くをぐるっと回り戻ります。


ちょうど朝の日の出の時間の移り変わりが良く分かる時間で、薄い青紫の空からほんのりの

日の出前の明るさ、太陽が真ん丸に赤く昇る時、雲や靄に隠れ半分だけ見える時、

そのさまざまな色を楽しみながら、顔なじみになったワン君の歓迎の挨拶も受け、

葡萄畑の枝葉の成長ぶり、葡萄の房の大きさも眺めながらの大体週3回、

1時間15分程の歩きです。


このモチーフは朝家を出る時の雲のかかり具合から、これは、と思ってカメラを持って

出た時に得たモチーフで、一旦雲の流れに隠れた太陽からの光が雲の縁を煌かせた

迫力あるもので、手前が葡萄畑の丘の上の木でお分かりの様に、まだ葉が茂り切らない

晩春の頃のもの、得難いモチーフでした。




◆ 初夏の葡萄畑  ヴェネト Santo Stefano in Veneto 22,5x16cm サムホール


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s初夏の葡萄畑  ヴェネト_01_GF.jpg

今年2019年夏、遂にヴェネト州の念願が叶い、「プロセッコの丘」として世界遺産に

登録された我が町コネリアーノから北西のヴァルドッビアーデネに至る一帯。


ヴァルドッビアーデネは以前からプロセッコの生産地として有名で、この一帯の葡萄畑の

美しさはその季節によりいつも美しいのですが、とりわけ美しいのは少し手前の

サント・ステーファノ一帯が一番なのですね。


山腹を耕し、まさに耕して天に至る、という古くからの葡萄畑で、急な傾斜地にトラクターの

入らない間隔の狭い畝が、びっしりと感嘆する程に並びます。 本当に人の手で営々と作り、

育て上げて来た葡萄畑の美しさなのです。


プロセッコでも一番お高い「カルティッツェ・Cartizze」を生み出す畑は、ほんの小さな一廓、

細く長々と続く葡萄畑の中でハンカチを広げた位の土地ですが、

そのすぐ近くの葡萄畑がこのモチーフです。


プロセッコを味わう折には、プロセッコの郷はこんな葡萄畑なんだと思い出して下さいね。



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