今日は下描きを始めたのがまだ見て頂くほどに進んでいませんので、
10日の水曜に出かけて来たグループ旅行の様子を見てやって下さいね。
10日の水曜に出かけて来たグループ旅行の様子を見てやって下さいね。
雨、豪雨という予報の出た日でしたが、国境向こうのお隣のオーストリアは
カリンツィア(ケルンテン州)に、ホーフステルヴィッツ・Hochosterwitsの古城と、
グルク・Gurkという町にある12世紀に建設のロマネスク様式の聖堂を見る目的で、
今回本家ブログの方で、道中での眺めをご覧頂いていますので、
こちらではグルクのドゥオーモの様子を見てやって下さい。
こちらではグルクのドゥオーモの様子を見てやって下さい。
まず地図をどうぞ。 下に見えるグレイの線がイタリア、オーストリア、右下が
スロヴェニアの国境線で、
右寄りに見えるCastello di・・というのが上記した城の位置で、
スロヴェニアの国境線で、
右寄りに見えるCastello di・・というのが上記した城の位置で、

午後、昼食後にグルクの町に向かい、バスを降り、ドゥオーモの横の道を通り、
町に向かう所。 有難い事に雨は無しですが、曇り空で残念。
3時15分のドゥオーモの前でのガイドさんと約束の時間には45分ほども早く着き、
皆で町の散歩に出かけますが、

夏の観光シーズンはまた別なのでしょうが、町というには雰囲気に華やかさがなく、
村というには整理され過ぎ、畑が見える訳でもなく・・!
とにかく「質実剛健」という雰囲気で、これはオーストリアのどこでも感じる印象で、
ドイツには空港の乗り換えのみでまだ行った事がありませんが、
ドイツには空港の乗り換えのみでまだ行った事がありませんが、
多分ドイツでもきっとそうなのだろうと。

時間があるので仲間達はもう少し遠くまでと行きましたが、shinkaiは探訪意欲が
余り湧かずの村内風景に、ぐるっと一回りしてからドゥオーモの方に戻ります。
余り湧かずの村内風景に、ぐるっと一回りしてからドゥオーモの方に戻ります。
正面突き当りに見える塀の中がドゥオーモ付属の修道院。

広い道をたまに車が通る位の閑散さで、
こちらの広い庭に満開のレンギョウや、芽吹いた木の芽を撮り、


ドゥオモの前まで戻り、町の位置地図を見つけましたが、左上に町地図も見えるものの、
この一帯の道路地図での位置を見てもチンプンカンプン! まるで知らない地方・・。

ドゥオーモ前の花壇の縁に腰掛けていると、通りがかったジュリアーナ達3人が
「ストゥルーデルを食べに行くよ!」というので、では、と一緒に出掛けますが、
最初に行ったドゥオーモ前レストランは水曜はお休みの看板、ではと道向こうに
見えるバールらしき所に。 こういう所には無いよね、という予想が当たりで、
shinkai一人ならさっと諦める所を、最初に辿った道奥のレストランに。
見えるバールらしき所に。 こういう所には無いよね、という予想が当たりで、
shinkai一人ならさっと諦める所を、最初に辿った道奥のレストランに。

入り口を入った所に「アップル・トルテ」と書いてあるのが見え、やれやれ、ははは。
バールらしき部屋に座り、注文し、既に3時5分で大丈夫かいな、という感じでしたが、
カウンターにいた女性が運んで来てくれ、
カウンターにいた女性が運んで来てくれ、

パンナ付きストゥルーデル。 大きな一切れで温めてくれていて、大変美味しく、
普通はトルタに干し葡萄やリンゴが混ざっている、という感じなのが、
これは中にリンゴたっぷり!

時計の針を気にしつつもしっかり平らげ、ははは、パンナ付きは3エウロ70で、
パンナなしだと3エウロ、というお値段。
パンナなしだと3エウロ、というお値段。
一見素朴で特別な愛想もない様子だったバールの女性ですが、最後には
とても丁寧に挨拶してくれ、気持ちの良い事でした。
とても丁寧に挨拶してくれ、気持ちの良い事でした。
で、ドゥオーモ前に戻ると既に皆集まり、はは、ガイドさんも到着済み。
ここの聖堂は身廊部の前に塔が2本あるのが特徴で、

上写真の右手前に見える建物の下のアーチを潜り中に入ると、広い中庭で、

左側に上でご覧頂いた修道院の建物があり、これはその壁に見えた日時計。

敷地の周囲全体が石塀で囲まれていて、こちらは塔がある下真ん中部で、
かってはここからも入れたのでしょうが、現在は閉まっていて、内側に礼拝堂が。

で、この手前は墓地になっていて、聖堂内部には中庭側の脇扉から入りますが、
脇入り口の前の女性像は聖エンマ・Sant'Emmaで、この聖堂は彼女に捧げられたもので、
地下クリプタに彼女の墓所があります。
地下クリプタに彼女の墓所があります。

聖女エンマという方は、スロヴェニアに980年頃に生まれた貴族女性。 伯爵と結婚し
2人の息子も生まれますが、夫ともども暗殺され、彼女はそのすべての遺産を引き継ぎ
大変裕福な伯爵夫人となりますが、
2人の息子も生まれますが、夫ともども暗殺され、彼女はそのすべての遺産を引き継ぎ
大変裕福な伯爵夫人となりますが、
その富で貧しい人々を助け、11の教会設立、修道院もという様子で、生前から既に
聖女としてあがめられており、自分の設立した修道院の一つで晩年を送り、
1045年に亡くなったという方で、1938年に聖女に。
聖女としてあがめられており、自分の設立した修道院の一つで晩年を送り、
1045年に亡くなったという方で、1938年に聖女に。
外側からステンド・グラスが見えた壁の、内側の礼拝堂。

かまぼこ型というのか、両脇の壁にこの様な一連の14世紀のフレスコ画、聖書の逸話を
モチーフにした物が描かれており、説明にはジョットの影響を受けていると。

天井部分はこんな様子。

ラピスラズリの濃いブルーの空に星が散らばる、というのは中世独特のイメージですが、
真ん中から四方に出る飾り模様がやはりイタリアと違い、壁面人物像も
余りジョットに似ていると思えずですが、モチーフの取り方を言っているのかも。
聖堂内部とを仕切る扉もこんな様子で、この部分には古いロマネスクが残ります。

が内部はまるでバロッコ式に改装されており、それも黒と金色の印象の強いもの。

天井の格子柄のアップを。

正面奥の後陣部、中央祭壇にはこの木彫金塗りの素晴らしく大きな17世紀の作品。

身廊にある説教壇、ここも金と黒で、

子供の天使像が、ちゃんと前を覆っているのが逆に可笑しな印象で、ははは。

パイプオルガンも金と黒色で。 手振れご容赦。

内陣部分は何段かの階段分高くなっているのですが、その下のクリプタはこんな様子で、
円柱は100本あるそうで、この奥に聖女エンマの墓碑がありました。

聖堂は3廊式で、左の内陣への階段脇にあった、ライオンの口を無理に開けている、
ライオン退治?の、髪も長いからサムソンかな?
こういう所々に残る中世が楽しく、息抜きできます、ははは。

上の内陣脇にあった、豪華な告解室。 真ん中2つが神父さんの入る部分で、
両脇に告解する人が入ります。
一緒にいたジュリアーナ・ミランがこれを見て、もう何十年も告解していないよ、
両脇に告解する人が入ります。
一緒にいたジュリアーナ・ミランがこれを見て、もう何十年も告解していないよ、
と、ははは。

告解室の内側にある、祭壇に向かった部分、コーラス席というのですが。

実はです、今回のカリンツィア行きの見学でとても残念だったのは、午前の城見学も、
このグルクのドゥオーモでも付いたガイドさん2人がまるで酷い下手糞な、
ガイドと呼べない程の通訳だった事!
このグルクのドゥオーモでも付いたガイドさん2人がまるで酷い下手糞な、
ガイドと呼べない程の通訳だった事!
皆が草臥れつつイタリア語の助けを出すほどで、あれでお金を取るとは酷いよね、
と皆でひとしきり! 全く、shinkaiよりもイタリア語が酷いガイド、それも2人とも、
だった事で、まるで聞く気にもならず、だったのでした。
中央の祭壇部分をどうぞ。 豪華絢爛の大歓喜の像で溢れており、使徒、教皇、
教会博士、聖人、天使たちが、中央の聖母マリアを囲みます。



こちらは前列下の左右に並ぶ、左から聖マッテオ、聖マルコ、右に聖ルーカ、
聖ジョヴァンニの4使徒で、顔の表情なども大変に力がこもり、凄いなぁ!と。


この大祭壇は1626年から32年の、マイケル・ホーネル・Maichel Hoenelの作品と。
それにしても一体重量はどれ位になるんだろう、と気になりましたです。
それにしても一体重量はどれ位になるんだろう、と気になりましたです。
祭壇に向かっての左の壁上に見えた、これは領主などのご臨席部かな。

そしてその奥横にあった、これは大変すっきりの、モダンな形、色使いとも云える
聖クリストフォロ像。中世にも、こんなセンスを持った画家職人がいたのですねぇ。
聖クリストフォロ像。中世にも、こんなセンスを持った画家職人がいたのですねぇ。

これは祭壇下の像の前にあった、ダチョウの卵に描いたキリスト受難図。
絵が上手いと言うのではないですが、初めてこんなのを見かけたので。

最後に、正面の扉内の礼拝堂の横から、狭いらせん階段をぐるぐると上り、
ジュリアーナ・ミランが数えたら55段だったという、2本の塔の間の上階にある
「司教の礼拝堂」に。
ジュリアーナ・ミランが数えたら55段だったという、2本の塔の間の上階にある
「司教の礼拝堂」に。

入った向かいの壁画がこんな様子で、聖堂全体でここに古いオリジナルが残っており、
13世紀、彩も明るい色を使っているのが分かります。
13世紀、彩も明るい色を使っているのが分かります。
正面はソロモン王で、足元の階段にうずくまるのは光輪を被った12頭のライオン、
12使徒の象徴だそうで、
12使徒の象徴だそうで、

天井部には旧約聖書のアダモとエヴァのお話が。

今は背後が塞がれているのですが、聖堂内部に向かっての3層の窓だった場所で、
装飾も見事。

ブレご容赦で、ステンド・グラスの真ん中上の円形、キリストの十字架降下図。

これはこの礼拝堂への入り口扉上の物で、3博士の礼拝と、下には様々な聖女像と。

下に降りた後、この礼拝堂は一体どこにあったんだろう、という仲間との話になり、

あれこれ考え、2本の塔に挟まれた中央部、下に大きなステンド・グラスが
見える部分は最初に見学した両面に壁画、青い星空の礼拝堂があった部分で、
最後に見学した「司教の礼拝堂」は、その上の2つの縦窓、真ん中に円窓の
あった部分に間違いない、という事になり、
そうなんですよね、55段のらせん階段を上った後、このらせん階段は壁の厚みの中を
くり抜いているもので、上ってから一旦塔の中の部屋に入り、
それから内側に入ったので間違いないですね。
それから内側に入ったので間違いないですね。
オーストリア式ロマネスク建築では大変有名な物だそうですが、内部が大改装された
バロック様式になっていて、おまけに塔の上の玉ねぎ式も如何にも北国で、
何となくしっくりと落ち着かない感覚、綺麗すぎる、という感じを味わいました。
はぁ、貧乏人でして、ははは。
バロック様式になっていて、おまけに塔の上の玉ねぎ式も如何にも北国で、
何となくしっくりと落ち着かない感覚、綺麗すぎる、という感じを味わいました。
はぁ、貧乏人でして、ははは。
こうしてイタリアに向けて出発、雨が降ったりの中を戻りましたが、
コネリアーノの駐車場で解散した後、家に帰る途中から雨になり、
今回は常に雨から逃れつつの一日で、やれ幸運だった、と思うと共に、
お天気で無くて残念、という一日でもありました。
来週21日は復活祭。
今の雨、曇り続きの天候がどうぞ済み、良いお天気になります様に!
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