ベリー公の時祷書のカレンダー4月の模写、少し進んでいますので、
見てやって下さい。
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ベリー公のいとも豪華なる時祷書 4月 模写 48.5x30,5cm
Très Riches Heures du Duc de Berry
Très Riches Heures du Duc de Berry

これから漸くに詰めて行ける、という所に辿り着きました。 やれやれ。
昔初めてこの絵を見た時は、なんと素敵で、美しく柔らかい緑、という印象が
第一にあって、その記憶が消えずのまま今回模写を始めたのでしたが、
描き始めて見ると、なんとその印象と違う緑でしょうか?!
第一にあって、その記憶が消えずのまま今回模写を始めたのでしたが、
描き始めて見ると、なんとその印象と違う緑でしょうか?!
ちっとも明るい、柔らかい緑ではなく、ははは、逆に全面の主人公の顔を印象付ける、
かなり濃い目の緑である事に気が付きました。
背後の城の手前、湖の周囲の緑もかなり渋い緑ですし、それが前面に来るに従い、
明るい柔らかい緑になっているのですね。
かなり濃い目の緑である事に気が付きました。
背後の城の手前、湖の周囲の緑もかなり渋い緑ですし、それが前面に来るに従い、
明るい柔らかい緑になっているのですね。
そんなこんなも自分で描いてみて気が付く事で、それも良いなぁ、というのが、
模写をしての感想でしょうか。
模写をしての感想でしょうか。
そしてご覧の様に前面の人物が(衣装だけでも、へへ)しっかりしてくると、
上部の暦部分が頼りなく見え、これは実際にもっと濃いブルーでして、
多分高価なラピスラズリの上等品を使っていると思われるブルー、がまだでして、
これからこちらも手を入れて行きます。
という様な所です。
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今日の第2部 画中の婚約者2人のモデルは?
このカレンダーは4月で、如何にも春らしく、素晴らしい緑の庭園の中で、
婚約者が指輪を交わす場面とされています。
婚約者が指輪を交わす場面とされています。
戴いた本の説明によると、ベリー公の孫娘のボンヌ・ダルマナック・Bonne d'Armagnac
と、シャルル・ドルレアン公・Charles d'Orléansとの事で、
この2人の王族は、1410年の春に婚約を行った、という記録があるのだそう。
と、シャルル・ドルレアン公・Charles d'Orléansとの事で、
この2人の王族は、1410年の春に婚約を行った、という記録があるのだそう。
と共に、別の説によるとマリー・ド・ベリー(時祷書を作らせたベリー公の娘)と、
ジャン・ド・クレルモンであると言うのだそうですが、この2人の婚約は1400年で、
ジャン・ド・クレルモンであると言うのだそうですが、この2人の婚約は1400年で、
この絵の制作は1410年頃と見られるので、10年ほども前の婚約式を描かせるか、
という疑問もあるのだそうで・・。
という疑問もあるのだそうで・・。
描きながら、中心の4人の人物のアップの写真を見ていると、

右端の女性は如何にも初々しく、嫋やかで、小さな胸をし、はは、
一方左の男性は、如何にも逞しそうで、首の後ろというか、後頭部にくっきりと
皺というか膨らみが見えますね。
Shinkaiはてっきりこれは男性がかなりの年配者と思って眺めたほどで。
一方左の男性は、如何にも逞しそうで、首の後ろというか、後頭部にくっきりと
皺というか膨らみが見えますね。
Shinkaiはてっきりこれは男性がかなりの年配者と思って眺めたほどで。
逆に、マリー・ド・ベリー・Marie de Berryは1367年生まれなので、
1400年の婚約結婚の時は33歳、おまけに3度目の結婚式という事になり、
夫になったジャン・ド・クレルモン、またはブルボン公ジャン1世・Jean I e Bourbon
は1381年生まれ、1400年の式の時は19歳で、しかも初婚、14歳の年上女房!!
は1381年生まれ、1400年の式の時は19歳で、しかも初婚、14歳の年上女房!!
いやぁ、幾ら政略結婚とはいえ、おまけにこの2人の結婚は結構うまく行き、
3人も子供が生まれてはいるのですが、
上の絵の様に、如何にも楚々とした嫋やかな女性と、14歳年下の男性とは思えず!!
Shinkaiはベリー公の孫娘のボンヌ・ダルマナック、1393年生まれ、1410年当時17歳、
シャルル・ドルレアン公、1394年生まれ、当時16歳、の説を取りたいですねぇ。
シャルル・ドルレアン公、1394年生まれ、当時16歳、の説を取りたいですねぇ。
はぁ、花婿が絵の中ではもっと年上に見えますけどね、彼女より1歳年下ですけど
でも彼は再婚なんですね。
それも12歳の時に、17歳のイザベラ・Isabelle de Valoisと結婚、
妻が1409年に女子を出産の後死亡という事で、再婚なんです。
でも彼は再婚なんですね。
それも12歳の時に、17歳のイザベラ・Isabelle de Valoisと結婚、
妻が1409年に女子を出産の後死亡という事で、再婚なんです。
ですからまぁ、年以上の落ち着きがあった男性、として描かれたのかも、と納得です。
なんぞとまぁ、今回は調べながら何度も何度も確かめ読み直し、100年戦争当時の
ややこしい人物関係、名前に・・! ああ、やれやれでしたぁ。
ややこしい人物関係、名前に・・! ああ、やれやれでしたぁ。
と美しい婚約式の後に1410年8月、ボンヌ・ダルマナックと、シャルル・ドルレアン公
は結婚し、2人の間に子は生まれぬまま、イギリスとの戦争で、1415年彼は捕虜に。
そして長い捕虜生活で、当時のイギリスーフランス間交渉が難航、それに身代金が
莫大で、何せ王族ですけんね、漸くに1440年9月にフランスに帰国する前、
1430~35年の間に妻ボンヌは死亡。
莫大で、何せ王族ですけんね、漸くに1440年9月にフランスに帰国する前、
1430~35年の間に妻ボンヌは死亡。
帰国の後、彼は3度目の結婚をし、3人の子が生まれ、その内の1人の男子が
後のフランス王ルイ12世なんだそう。
後のフランス王ルイ12世なんだそう。
まさに美しい夢の様な優雅な婚約式の絵なのですが、その登場人物の身の上は
複雑で、その人生はかなり大変でもあったわけで・・。
複雑で、その人生はかなり大変でもあったわけで・・。
所で、シャルル・ドルレアン公は詩人としても大変有名なんだそうですが、
長い捕虜生活の内に詠んだ「獄屋の歌」というのもあるそうで、
長い捕虜生活の内に詠んだ「獄屋の歌」というのもあるそうで、
世の中には、本当に詳しい方がいるものだ、という感想を持ちましたです。
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