・ トスカーナの道 途中経過と、 ダ・ヴィンチのデッサン「白貂を抱く・・」

トスカーナの白い道風景を描きこんでいますので、見てやって下さい。

コルサーノの道  トスカーナは春   36,5x25cm  5p大

1-+DSC02075_GF.jpg

先回見て頂いた後、緑の丘の色が、とりわけ右半分の緑色が汚れ、結構強く塗り込み
上からの色が乗りにくくなったりで、遂に水で洗い落とし、描き直しました。

それでも最初から苦しんでいる紙の横線のシボにまだかなり泣かされましたが、
何とか丘の形をが見え始め、

色も前よりは良いかな、という所ですが、未だにまだ緑色が自分の思う様にならない、
という感触が、というか、まだつかみ切れていないというのか、があります。

奥の遠い山々も入れ、今少し色がごちゃついていますが、も少し強弱をつけるつもりで、

これは道を挟んで左右の畑の色が違うのも、今少し近寄り過ぎたかな、という事もあり、

空の色も、少しずつ出来て来ている所で、

も少し、詰めの段階に入れる様、頑張りま~す。


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今日の第2部   レオナルド・ダ・ヴィンチの残したデッサン「白貂を抱く・・」

余りにも有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」、これは皆さんも
よくご存じの名作でもありますが、私めはまだ実作品を見た事もなく、
ただ本やサイトで見かける位にしか知らず、特に興味を持っていた訳ではありません。

2-1-sLeonardo_da_Vinci_-_Lady_with_an_Ermine.jpg

それが記録ブログの方で、レオナルドの生家を訪ねた記事、そしてそれに続いて知った
レオナルドの生母の記事をリライトしてアップした事から、少し興味が再燃し・・!

以前に確か残した筈の記事を探し出し再読したり、新しくサイト検索を重ねたりで、
あれこれまた読むべき資料が溜まりつつありで、へへ、(この忙しい時に・・!!)
で以前ストックしていた軽い記事を思い出し読み、と、それに触発され調べた事を
ここにご紹介致しますね。

2015年の春にミラノで開催されたレオナルドの展覧会に出品されたという、
「白貂を抱く貴婦人」の絵のモデルの、手と腕のレオナルドのデッサンについての記事で、
細部・不死の最愛の人・L'amata immortale」というタイトルで、

この展覧会には、この実作品の絵は出品されていなかった様ですが、
今回知ったのは、板に油彩 54x39cm 1488年から1490年にかけて描かれたもので、
現在はポーランドのコラコヴィア・クラクフのお城の国立美術館収蔵なんだそうで!

クラコヴィアに何で?というのと、またイタリアにとっては先々代の教皇様
ヨハネ・パオロ2世が大司教をされていた土地で、親しみを感じる街なのですが。


脱線しましたが、つまりそんなわけで、初めてしげしげとこの作品を眺め、
貂に触る手の素晴らしさもさることながら、
何とも落ち着いた涼やかな目元の美しさにも魅せられ、こんなに素晴らしい作品だったかと、
改めて、ははは、今更に思い知るレオナルド様の力でございますです。

2-2-sLady_with_an_Ermine_head.jpg

で、この彼女は一体幾つだったのかと始めて調べまして、
1473年生まれの、絵のモデル当時は15,6歳!!! わぉ~!!

皆さん、ご存知でした?! 私など、彼女はルドヴィーコ・イル・モーロの愛人として
有名ですしね、もっと年の行った、少なくとも20歳を過ぎているだろうと思い込み・・!!

それに勿論この絵の注文依頼はイル・モーロからダ・ヴィンチに出されたもので、
その1年前位から彼らの事はあれこれ噂話で洩れていたと言いますので・・!

昔の方は、日本でもそうですけど、若くともしっかりとしていた、というのは分かりますが、
なんとまぁ、はぁ、こうお若い方だったとは、恐れ入りましたです。

付け加えますと、当時イル・モーロは36歳、レオナルドはイル・モーロと同年の36歳!



で、今日の本題、はは、レオナルドの残した手と腕のデッサンというのはこちらで、

3sLeonardo-da-Vinci-Studio-di-braccia-e-mani-per-il-Ritratto-di-Cecilia-Gallerani-.jpg

実作の手の動きとは違いますが、これはこれでまた凄いデッサンで!!
それに描かれた(実物の)手も美しゅうございますですねぇ!!

それにそれに、紙の左上に、ちらっと不細工な年寄りの顔なども見える所が、ははは、
何ともレオナルド様らしく・・。

このデッサンはイギリスはウィンザー城のローヤル・コレクションからの物だそうで、


「なんと、美しく優しく、男色偏愛者であるトスカーナの天才をも目覚めさせ、魅惑し・・、
多分彼女宛である手紙の中にマエストロが記したのは ”私の最愛の女神” という言葉。
チェチーリアは、プラトニック・ラヴの不安な気持ちにさせる芸術家に、手を描かせ・・」
という様な、はは、読者をその気にさせるようなお上手な文章でして・・。

美しさのみならず、ラテン語を流ちょうに話し、ミラノの文化人たちを招き、哲学を論議
したりの才媛でもあったようで、この点でもレオナルドを魅了したのであろう、というのは、
他のサイトにあった事で、

モデルとしてレオナルドに対峙する濃密な時間の中で、やはりマエストロも充実した
時間を過ごしたのでありましょうね。
画家が気に入ったモデルを描く時の、より一際素晴らしい作品が生まれた訳で!


チェチーリアは、ルドヴィーコの子であるチェーザレを1491年に生み、その後もミラノの
宮廷に暫くとどまっていた後、ルドヴィーコが落ち目になり始めるとマントヴァに行ったり、

その後1492年の夏19才で、ベルガモの伯爵ルドヴィーコ・カルミナーティ・
Ludovico Carminatiと結婚し、約60歳で亡くなります。 
から、まずは幸せな一生であったろうと・・。子のチェーザレは21,2歳で亡くなってます。



最後に、額装の絵をご覧に入れますね。 何とも典雅な素晴らしい額なので。

3-sXII-209.jpg

という様な、「愛されて不死の」名画の舞台裏の小さなお話でした。


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ただ今本家ブログには、
パルマの洗礼堂・Bttistero  ・ 中世の濃密な香り豊かな を
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