マテーラの朝を描き進めていますので、見てやって下さい。
朝陽が届く マテーラにて 33x24cm 4号
ここ迄描いてくると、だんだん絵の表情も見えて来る代わりに、気になる所も出て来て、
少し、・・・の所もあります。
少し、・・・の所もあります。
というのも、籐椅子にちょっと光が当たって明るく見える、というのを表現するには、
当然その周囲が暗くないといけないわけで、
かと言って、影の色を濃く描こうとすると、紙の上の色鉛筆の表情がどうも気になる、
汚れて見えるのではないか、という恐れる気持ちもあります。
汚れて見えるのではないか、という恐れる気持ちもあります。
汚れに見えなくする、すっきり見える様にするには、それよりも一段濃い暗い色が
その周囲にあればOKなのですがぁぁ、
その周囲にあればOKなのですがぁぁ、
いま全体の調子を掴むために、どんどん描きこみ濃くしている最中でぇ、
少々濃い色を入れたと思っても、大して濃くは見えなくなり、
正直、我ながら、大丈夫かいな、という・・、へへ、気持ちがあります。
まぁ、やるしかないさと諦め、いや、踏ん切りをつけて、やってみますです、はい。
*****
今日の第2部 パルミジャニーノのデッサンと、錯乱について
パルマ出身の画家パルミジャニーノ・Parmigianino(1503-1540)については、
日本にも同時代、同じエミーリア・ロマーニャ出身の画家のコッレッジョ・Correggio
(1489-1534)との展覧会も行ったようなので、よくご存じの方も多いと思います。
日本にも同時代、同じエミーリア・ロマーニャ出身の画家のコッレッジョ・Correggio
(1489-1534)との展覧会も行ったようなので、よくご存じの方も多いと思います。
マニエリズムの代表的な画家として評判ですが、私はどちらにも余り興味がなく、
今迄は単に眺めていただけでしたが、3年ほど前に出かけたパルマ近くの
フォンタネッラートの城で、パルミッジャーノの描いた壁画を見て、なんと凄い!と、
初めてちょっぴり、彼についてアンテナが立った、という訳でした。
今迄は単に眺めていただけでしたが、3年ほど前に出かけたパルマ近くの
フォンタネッラートの城で、パルミッジャーノの描いた壁画を見て、なんと凄い!と、
初めてちょっぴり、彼についてアンテナが立った、という訳でした。
で、今回本家ブログで「パルマですべき、見るべき10の事」というサイトのご紹介をしつつ、
その中にあった一行、「パルミッジャニーノの発狂前の最後の作品」というのに驚き、
その中にあった一行、「パルミッジャニーノの発狂前の最後の作品」というのに驚き、
えっ、彼が?! という事で、あれこれ検索を掛けて知った事、
また素晴らしいデッサンのあれこれも見つけましたので、ご覧に入れますね。
また素晴らしいデッサンのあれこれも見つけましたので、ご覧に入れますね。
彼が錯乱した、というのは、パルマのサンタ・マリーア・デッラ・スタッカータ教会に
描いた内陣天井のフレスコ画の仕事について書いてある中にあった事で、
この仕事は1531-1539年の事で、
途中で教会側ともめて、たびたび避難した、という様な記述も読みました。
描いた内陣天井のフレスコ画の仕事について書いてある中にあった事で、
この仕事は1531-1539年の事で、
途中で教会側ともめて、たびたび避難した、という様な記述も読みました。
で、この内陣天井の仕事というのは、この素晴らしく大きな物で、

こちらがその細部で、これがフレスコ画とは到底思えないような仕事で、てっきり油彩と
思ったのでしたが、やはりフレスコ画に間違いない様で!

何とも凄い表現力というか、ですが、この8年ほどの時をかけて仕上げた後、
1540年、彼はまだ37歳の若さで亡くなっているのですね。
1540年、彼はまだ37歳の若さで亡くなっているのですね。
デッサンもあれこれ見つけたので、どうぞ。 油彩作品の為の習作もあり、
版画を作って売ろうとしたらしく、その為の物、またプレゼントなどもあったらしく、
如何にも彼の素晴らしい画家の底力がこもっているように思えます。
版画を作って売ろうとしたらしく、その為の物、またプレゼントなどもあったらしく、
如何にも彼の素晴らしい画家の底力がこもっているように思えます。







で、こちらは20歳位の時の彼の自画像で、凸鏡に映った、という形を取っていますが、
平面ではなく、凸状に裏側をくり抜いた木の表面に描いた物、というのも今回知りました。

ジローラモ・フランチェスコ・マリーア・マッツォラ・Giloramo Francesco Maria Mazzola
という本名ですが、パルミジャニーノ・Parmigianinoという名で通り、
という本名ですが、パルミジャニーノ・Parmigianinoという名で通り、
これはパルマ出身という事や、どうやら体格が小さかったのであろう、という事、
またこの自画像からも窺えるように、優しく繊細な美男タイプであったようで。
またこの自画像からも窺えるように、優しく繊細な美男タイプであったようで。
そして錯乱を起こし始めた、というステッカート教会の仕事の合間にも、その後にも
まだまだ素晴らしい作品が出来ており、
「アンテア」1535年 「長い首の聖女」1534年 「ルクレツィア」1540年
「ピエール・マリーア・ロッシ3世の肖像」1535-1539年頃、
まだまだ素晴らしい作品が出来ており、
「アンテア」1535年 「長い首の聖女」1534年 「ルクレツィア」1540年
「ピエール・マリーア・ロッシ3世の肖像」1535-1539年頃、
「カミッラ・ゴンザーガ」1538年などなど、
まるで筆力の衰えが見えない様な作品がたくさんあります。
ピエール・マリーア・ロッシの肖像画なども、ステッカート教会側とのいざこざで、
宮廷に避難していた時に描かれた、というのも読みましたので、
一挙に発狂した、というのではなく、時に錯乱状態を起こした、という事かと。
一挙に発狂した、というのではなく、時に錯乱状態を起こした、という事かと。
そういう彼の様子を記したジョルジョ・ヴァザーリの記述によると、
「繊細で優しく、髭を生やし、髪を伸ばし、手入れもせず、まるで野蛮人の様」と。
「繊細で優しく、髭を生やし、髪を伸ばし、手入れもせず、まるで野蛮人の様」と。
そしてこれがパルミジャニーノの自画像1540年作といわれるもので、

幾ら衰えたりといえど、あれほどの筆力を持った彼の自画像とは到底思えず、
ヴァザーリの記述によると、「画家は払いきれない程の負債を抱え、借金取りに追われ」
「錬金術を勉強し始め、水銀を固体化し早く金を儲けなければと、絵を描くすべてを
放棄し」
「健康状態が非常に悪化し、鬱状態になり、変で、高熱を出し、(出血、下痢)の
発作が激しく、数日のうちにあの世に旅立った」と。
「錬金術を勉強し始め、水銀を固体化し早く金を儲けなければと、絵を描くすべてを
放棄し」
「健康状態が非常に悪化し、鬱状態になり、変で、高熱を出し、(出血、下痢)の
発作が激しく、数日のうちにあの世に旅立った」と。
日本版ウィキには「赤痢」とあり、イタリア版ウィキには「多分マラリアで」とあり、
暑い8月に亡くなっていますので、体力が落ちていた所を、という状態でしたろう。
暑い8月に亡くなっていますので、体力が落ちていた所を、という状態でしたろう。
shinkaiが、これは本人の描いた自画像でないと思った絵は、何人もの鑑定家達が
自筆であるとしたそうですが、1人、ミケランジェロ・アンセルミ・
Michelanngelo Anselmi(1492-1556)であるとした説があり、

最近はミケランジェロ・アンセルミであるという説が強くなっているそうで、
これは描くスタイルからの研究によるもの、という事の様です。
これは描くスタイルからの研究によるもの、という事の様です。
またアンセルミは同年代で、パルマ一帯で仕事をし、亡くなっていますから、
晩年のパルミジャニーノを見ていたかも、知っていたかもで、
晩年のパルミジャニーノを見ていたかも、知っていたかもで、
彼の絵を見る限り、彼の絵にはパルミジャニーノの筆力の鋭さがない事も見えますから、
彼が描いたのかも、というのは大いに肯定出来ますし、
彼が描いたのかも、というのは大いに肯定出来ますし、
私にはパルミジャニーノほどの画家の、最後の自画像があの出来であるとされるのは
如何にも可哀そう、という気がして、他の画家で良かった、と思いますです、はい。
これも一種の判官びいき、かもですが、ははは。
如何にも可哀そう、という気がして、他の画家で良かった、と思いますです、はい。
これも一種の判官びいき、かもですが、ははは。
という様な、パルミジャニーノへの小さな近寄り研究、でもありました。
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