アーゾロの壁にある聖母子像を描き始めましたので、見てやって下さい。
壁の聖母子像 アーゾロ 3P

我が家から1時間ちょっとで行けるアーゾロ・Asoloの町。
昔から文化人に愛された長閑で閑静な地で、小高い山の上に町の中心が。
この聖母子のある壁は、町の門を入ってすぐの所にあり、
同じ建物の右下には、可愛い古い泉もあります。
フィレンツェのデッラ・ロッビア工房の特徴ある聖母子像で、
ここにあるのは本当にできの良い、美しい聖母子像!
自分で描きつつ、なんとまぁ!と職人の腕の良さに感嘆したのでしたが、
どうぞ、負けずに上手く描けますように!! へへ。
壁の色、窓の鎧戸、窓枠の色などなど、聖母子像を上手く引き立てれるよう、
どうが良いのかと考えていて、まだ抑え気味にしている所です。
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今日の第2部 南出麗子さんという日本画家
先日本家ブログにコメントを下さるMusicaさんから、写真添付のメールを頂き、
掛け軸の整理をしていてこれらの絵と40年振りくらいの再会を、との事。
髪型、服装から見て、懐かしい昭和の始めでしょうか?


驚いたのは、これを描いたのはMusicaさんのご実家の縁続きの方で、
南出麗子さんと仰る、当時7歳位、という言葉でした!
以前、麗子さんのお父様が画家で、お嬢さんに厳しい天才教育を施した、
その方の絵がお家にあるとお聞きし、では写真が撮れたら送って下さい、
とお願いしていたのですが、
その方の7歳頃の絵が久し振りに出てきて、送付を、という事なのでした。
この絵以前、Musicaさんのお母様が麗子さんに少女雑誌をプレゼントしたら、
お父様から「娘は京都の国立博物館に連れて行って良い物をみせ摸写させている。
勝手なことをしないように」とおしかりを受けたそうですが、
麗子さんには、当時のファッションなども興味深くて、
最初のこんな絵も出来たのではないか、との事。
お父様は娘の成長ぶりが楽しみで自慢で、縁続きのMusicaさんのお家に
作品を持ち込み、Musicaさんのお父様は貼りまぜ屏風に仕立て、
Musicaさんはそんな麗子さんの作品を見て育った、のだそうです。
貼りまぜ屏風に残る、麗子さんの扇面の絵。
夏の子供姿ですが、配置が良いですねぇ。

麗子さんはお生まれが1919年位ではないかと云うことで、
この短冊が唯一、正確な年月日とお年が分かるもので、13歳。
この短冊が唯一、正確な年月日とお年が分かるもので、13歳。

こちらも短冊で、13歳頃と。


時代の風潮なのか、お父様のご指導なのか、浮世絵美人画風のものが多く、
15歳から16歳位のものがMusicaさんのお家に全部で30点ほどあるそうで、



16歳の時の色紙だそうですが、渋いですねぇ。


15歳。

これは当時の女性の姿ですが、華やかで良いですねぇ。
私には、彼女が自分の思いを広げかけている姿にも思え・・。

麗子さんのお年から考えると、ちょうどお年頃に戦争が始まり、
お家の事情もお互いに変わり、ご縁が途絶えたそうですが、
終戦後に、息子さんをつれ滋賀県で温泉旅館をして絵の世界から遠ざかる、
という葉書が届き、それが最後になったそうです。
お年から考えると、まだ存命の可能性もありますが、
ちょうど終戦の年が彼女の26歳位ですか、
30歳前に絵から遠ざかられ、その後はどの様に考え過ごされたか・・。
子供の時の何も分からないままに、お父様のご指導のもとで描かれていたのが、
彼女の成長と共にきっと変わったであろう、彼女の絵の世界にも思いを馳せ、
Musicaさんの、麗子さんへの讃歌の気持も思い、
絵の大先輩、南出麗子さんのご紹介をさせて頂きました。
◆ Musicaさんから、春の掛け軸の絵、静御前の写真を送って頂きましたので、
追加させて頂きます。



麗子さんご自身の筆で、下に「満15歳」と書かれており、
Musicaさんは、常の白拍子姿ではなく元禄風の着物姿で描かれている、
のがお気に入りのようですが、
shinkaiは、今までこうして拝見した中では先回ご覧に入れた最後の女性、
両袖を広げた姿の女性が、一番素直な作風で好きです。
厳しいお父様の指導のもとで、麗子さんは絵を描きつつ、
案外着せ替え人形的な発想で、様々な着物姿を描いたのではないかな、と
思ったことでした。
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ただ今本家ブログには、