・ 猫ちゃん 途中経過と、 トスカーナで見た病院・荘園・要塞跡


猫ちゃんの途中経過を見てやって下さい。

アンギアーリの猫   22x16,5cm  1号

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先回描き出しを見て頂きましたが、
バックも色を緑色を濃い目のグレーとし、毛並みや目、
耳などなど描きこんでいます。

今一番の問題は、ふさふさの毛並みと、茶色の濃淡。
短い毛の猫ちゃんであれば、体形もつかみやすいですし、

茶の色もも少し濃い色があれば描きやすいのですが、
はぁ、こちらの注文通りにはいきませんしね、ははは。

白の毛皮の方も、顔はともかく毛足が短いので何とかOKでも、
我が家のかっての猫ちゃんから、顔のどこの毛はどの向きに生えるか
というのをしっかり教えて貰っていますので何とかなるのですが、

顔の脇からのふさふさに毛並みに、白色の影の色をどうするか、
毛並みをどう描くかが問題なのと、胸をも少し膨らませたく、
現在少し息切れし、そこで一旦ストップしています。

髭も色鉛筆で描ける部分は少し入れましたが、
また白い胸の辺りをもっと描いてから、右側の髭を入れる事に。

はぁい、また頑張りま~す。


*****

今日の第2部   トスカーナで見た病院・荘園・要塞跡

今回は本家の方でも同地区にある、地図の右下に見える「ケッケの樫の木・
Quercia delle Checche」を取り上げましたので、
興味がおありの方見てやって下さいね。

こちら分家では赤点の付いた「アグリトゥリズモ・カステッロ・ディ・スぺダレット・
Agriturismo Castello di Spedaletto」を。

2-1-map.JPG

この一帯はトスカーナはオルチャの谷で、上の中央にピエンツァ・Pienza
見え、左にサン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia で、
ちょうど左下のバーニョ・ヴィニョーニ・Bagno Vignoniから
県道SP53号線を通り「ケッケの樫の木」を見に行く途中で出会ったのでした。

スぺダレットはオスペダーレ・小さな病院という意味で、中世の街道筋で
旅の巡礼や徒歩旅行者たちを助けていた場所なのですね。

ここにアグリトゥリズモがあるというのは旅行前の地図調べで知っていましたが、
当日車を運転している頭の中からは綺麗に消えており、ははは、


突然目の前に見えた要塞の塔に驚き、ちょうどあった小道に入り込み
撮ったのがこれ。
2枚目の写真に見える紋章の左側、梯子のS・M・デッラ・スカーラ病院の
印が分かりますか?

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遠くからソロっと撮っていますけど、何せすぐ横に「見張りカメラあり」と
書いてあるので、ははは、個人の邸宅だったらイケンしとの遠慮で、

何よりも余りの要塞の威容さに驚き、何、これ?!
帰ったら調べよう! と。



城壁の横に出て来た猫ちゃん、見えますか? ははは。

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道脇にあった「スぺダレット・Spedaletto」の標識。
ははぁ、では中世の病院を兼ねた要塞跡か、と納得したのですが、

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車に戻り脇を通る時に、産物店らしきものも見えたので、
今も現役なんだと。


で今回あれこれ調べた結果、ぐるっと徒歩で回りこんだら、
外からの眺めはOKだった様子と分かり少々残念でしたが、

やはり子孫代々住みついて農園経営、店でオリーヴ油やワインの産物を売り、
お菓子なども作り、アグリトゥリズモも経営している、というのを知りました。

で、要塞風建物の写真も見つかり歴史も分かりましたのでご覧下さいね。

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12世紀にこの地に信心深いとも、僧ともいうウゴリーノ・ダ・ロッキオーネ・
Ugolino da Rocchioneによって病院が建設されたのは、
ローマへの巡礼道であったヴィア・フランチェージナがすぐ傍を通り、
地図にも見えるオルチャ川を渡る橋がかかっていたのだそうで、
これは今も遺跡が分かるそう。

そんなこんなから、多分最初の成り立ちは巡礼者達の看護や宿の
小さな建物だったのだろうと想像しますが。
   
が、1236年からシエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラが管理運営
する事となり、オルチャの橋病院・Spedale del ponte dell'Orcia
と呼ばれることになります。

シエナのドゥオーモ前の現博物館である元病院のS・M・デッラ・スカーラを
ご覧になった方もおいでと思いますが、大変大きな建物ですが、
あれがすべて病院だったのではなく、大きな穀物蔵なども内部にあり、
かってはこのトスカーナ一体に大きな勢力を持ち、荘園もたくさん持っていた、
その大元の病院兼管理事務所だったのですね。

ですからここの建物も徐々に大きくなり要塞化されていったのは間違いなく、
ナポリ王カルロ2世アンジュー(1254-1309)や、自分の生まれた
ピエンツァをルネッサンスの理想の町とすべく奮闘した教皇ピオ2世
(1405-1464)もここに宿泊した事があるのだそう。

徐々にその裕福さが増し力が強大になるに従い、近隣の領主たちに
目障りにもなり、単なる建物の美化的な改装のみでなく、
要塞としての改築も14,5世紀に行われ、周囲を取り囲む城壁や、
武器を使うための狭間なども多く設けられたと。




これは南面からの眺めですが、全体の四角い建物、城壁の四隅に
塔を持っているそうで、
shinkaiの見た最初の門の中の内庭から、次の内庭に続く門があるそう。

9 - Il castello di Spedaletto 1200.jpg

サンタ・マリーア・デッレ・スカーラが各地に持っていた要塞を兼ねた荘園、
これらはグランチャともグランジャとも呼ばれる荘園の大きなのは、
ピエンツァの北に位置するモンティージ・Montisiにも残り、
その勢力具合を少し調べた事も載せていますので、どうぞ。
https://italiashio.exblog.jp/20807778/




こちらは現在のアグリトゥリズモのサイトからの写真で、
かっての穀物蔵、厩舎、住居部が充てられているのだそう。

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10-2-s355550056_2.jpg

11-spedaletto scale 1 copia.jpg

12-LA PESA 5 copia.jpg

13-sogno.jpg

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5つのお風呂付ダブルの部屋と、2つのアパート、これは台所付き
があるそうで、
サイトはこちらに。 http://www.castellodispedaletto.it/

ここの要塞は本当に素晴らしく保存されているとの事ですから、
オルチャの谷方面に行かれる方、ご興味がありましたらお宿にどうぞ!


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ただ今本家ブログには、
樹齢370年の大きな樫の木 オルチャの谷ピエンツァ を  
アップしております。  
http://www.italiashiho.site

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